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ふるさと佐久


by newport8865
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http://hiborogi.sblo.jp/article/181086838.html

2017年09月24日
379 須 久 
20170401  太宰府地名研究会(神社考古学研究班)古川 清久

「ここでは、佐久を「柵」と関連付けて考えられることの例としてあげましたが」という引用のされ方をしている。

しかし、ここの文意は「柵を『き』と読ませていることから、柵=佐久説は弱いのではなかろうか?」という疑問文で「弱い」ことを主張しようとしているつもりなので、何とも落ち着かない気分ではある。
# by newport8865 | 2018-09-18 22:00 | 地名 人名

◇旧・佐久米村
 静岡県

旧・東浜名村 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%B5%9C%E5%90%8D%E
6%9D%91
 現・浜松市北区


◇佐久米町 (三重県松阪市の地名)

松阪市立朝見小学校
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E9%98%AA%E5%B8%82%E7%AB%8B%E6%9C%9D%E8%A6%8B%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E6%A0%A1#cite_note-sd-4

http://www.city.matsusaka.mie.jp/soshiki/75/29shogakkoku.html

◇佐久島
愛知県西尾市

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E4%B9%85%E5%B3%B6

『佐久島旧記』によれば、崇神天皇(紀元前97年-紀元前30年、第10代天皇)の時代に、斎宮(いつきのみや・さいぐう)の郷にいた佐久彦命が移住して農業を始めたことが島名の由来とされている。


◇兵庫県豊岡市の佐久神社
http://www.genbu.net/data/tajima/saku_title.htm
 佐久津彦命を祀る
  (以前にも記したと思う)

◇山梨県甲府市の佐久神社
http://www.genbu.net/data/kai/saku2_title.htm

◇栃木県の佐久山
さくら佐久山=桜咲く山


◇北海道の「佐久駅」
これも以前記載した。https://newport886.exblog.jp/2607342/

今回、積丹という地名と佐久が関係があることが分かった。アイヌ語で、サクは夏のことだという。

佐久駅
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E4%B9%85%E9%A7%85

  JR北海道 宗谷本線  中川郡中川町字佐久

  佐久駅の紹介ブログ記事 http://tsukiyochakai.blog122.fc2.com/blog-entry-556.html

中川町の歴史 http://www.town.nakagawa.hokkaido.jp/town/intro/rekishi.html

「1920(大正9)年 誉平、佐久両市街の区画測量が行われる。 」が佐久の初出。

最近話題の「松浦武四郎」に関係する記事で、佐久が登場。
http://uu-hokkaido.jp/recommend/otoineppu.shtml
「雄大な天塩川を眺めていると、河口からこの場所まで川幅は一定で、流れは穏やか。アイヌ人にとってこの川は、丸太舟での往来がしやすい母なる川であったと思います。石狩川同様に、この川沿いにアイヌの集落が広がっています。この地形に沿って武四郎は進みました。

車からこの場所はわかりにくいのですが、舟からは見ると河原が広いるこの場所は目印でした。しかも、浅瀬になっているので、舟の入り江(浦)になり、アイヌ人の出入りの場所/要所になったことがわかります。佐久というコタン(集落)ができ、音威子府ができました。そして、どんどん川上に生活の場を求めて「加伊」が広がったようです。」(この旅行案内の著者の記述。佐久というコタン名の由来までは書かれていない。)


https://ameblo.jp/nomaru1256/entry-12223868534.html
佐久の由来は、サツコタン川からで、アイヌ語の「サク・コタン・ナイ」(夏・部落・川)、昔は夏に漁撈のため魚の沢山獲れる佐久川の河口にコタンを作っていたようである。」


http://www.ekinavi-net.jp/railway/jr-soya02/saku/index.html
地名はアイヌ語の「サク・コタン・ナイ」(夏の村のあるところ)の上部をとったもので、昔は漁のため夏の間だけ天塩川の川岸でアイヌが生活をしていたという。アイヌ語に漢字を当てた地名であり、入植者の出身地名に由来するものではない。


北海道中川郡(天塩国)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B7%9D%E9%83%A1_(%E5%A4%A9%E5%A1%A9%E5%9B%BD)


なお、積丹半島の シャコタンも、 サクコタン の訛り(どちらが訛りかは分からないが)という。
http://www.asahi-net.or.jp/~hi5k-stu/aynu/syakotan.htm
「「積丹」という地名は、積丹川の川口にあった部落名による。この部落は夏になるとアイヌが漁撈に集まったため、「サクコタン」と呼ばれた。この「サクコタン」が「シャコタン」となり、広く用いられて、積丹川、積丹岳、積丹半島などと和人によって名づけられていったのである。」


◇苗字としての「佐久」 https://name-power.net/fn/%E4%BD%90%E4%B9%85.html
長野県 諏訪郡富士見町 乙事 という地域に、「佐久」姓が多いことが分かった。


◇「佐久」地名
https://matome.naver.jp/odai/2145300760025777801
佐久
→佐久地名の初見は「三大実録」貞観八年(866)の条に「佐久郡妙楽寺、定額寺となる」とある。
このあたりは、仁和四年(888)の八ヶ岳崩落、千曲川大洪水により多くの湖沼が出現し、小海・海瀬・海尻・青沼・海の口・馬流など水にちなむ地名が多い。


佐久の由来については
①佐久の総社新海?神社の祭神が諏訪大新の子、興波岐命であり、この命は昔は新開(爾比佐久)の神であるところから佐久という説
②佐紀沼は奈良県北西の湿地であるが、開墾された田をサキ沼ともいうので、これが転じた説
③サク地名は全国的にあり(瀬古・迫・佐久間)、川によって台地が侵食された谷に多く中世以降はこれが田畑の畝となったとする説


◇ 長野「地理・地名・地図」の謎 意外と知らない“信州”の歴史を読み解く!
https://books.google.co.jp/books?id=KaL6DAAAQBAJ&pg=PT95&lpg=PT95&dq=%E3%80%8C%E7%8B%AD%E3%81%97%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%80%81%E3%81%88%E3%81%8F%E3%82%8B%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E6%84%8F%E5%91%B3%E3%81%AE&source=bl&ots=DhIivDfZ14&sig=jPLwsm-FAATFtB1G2dXBQ6R_ovQ&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwji59DgwMPdAhUMWbwKHT8TDvEQ6AEwAHoECAAQAQ#v=onepage&q=%E3%80%8C%E7%8B%AD%E3%81%97%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%80%81%E3%81%88%E3%81%8F%E3%82%8B%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E6%84%8F%E5%91%B3%E3%81%AE&f=false
  「サクは、狭い場所を表す「狭し」と、えぐるという意味の「刳る」からできた地名


◇ 佐久郡(長野県)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E4%B9%85%E9%83%A1#cite_ref-2
和銅5年(712年)編纂の古事記に登場する伊弉諾命の孫神である宇都志日金拆命(うつしひかなサクのみこと)が開拓したので「拆 サク」となったという。


◇うつしひかなサクのみこと
http://www.genbu.net/saijin/utusihikanesaku.htm
佐久に関係ありと記されている。

https://nihonsinwa.com/page/2006.html

こちらでは、安曇野連の祖先神とのこと。安曇と佐久の関係を指摘したものは記憶にないが。


◇迫 について
http://www.qsr.mlit.go.jp/miyazaki/html/kasen/iware/main/tu.htm

165 津蟹ヶ迫(つがにがさこ) 宮崎市
迫(さこ)とは狭(せま)く細く行き詰ったような谷、セコ(世古、瀬古)、サク(佐久、作)などと同じ意味。大淀川下流南部には30余りの「迫」のついた地名があり、その多くは里山の間に散在し、奥まった水田や平地、小谷である。津蟹(つがに)とは県内のほとんどで使われるモクズガニの方言で、津蟹ヶ迫はツガニが多く棲息(せいそく)していた迫が語源である。似たような地名に大蟹ヶ迫(おおかにがさこ)、蟹ヶ迫(かにがさこ)(郡司分)がある。迫田(大塚)や天ヶ迫など迫が付く地名は、大淀川下流右岸だけでも50ヵ所ほどある。




◇地名をあるく 95.迫・砂 (岡山県高梁市)
http://www.city.takahashi.lg.jp/site/koho/sako.html
「さこ」という地名には、「迫」「佐古」「砂」「狭処」という漢字を当てたり「瀬古」「佐久」などと表現するところもあります。いずれも狭あいな地形をした場所に使われているのです。



◇沖縄の地名
http://d.hatena.ne.jp/hetakes0/20151113/1447363760

凹んだ場所の一番下は「s-ocho=底」です。沖縄方言では「s-uchu=スク」です。スクが付く地名は「山に囲まれ

谷あい、谷間」と推測されます。日本では長野県は山に囲まれた県です。そこに「s-achu=佐久」という地名があるのは不思議ではないです。 「s-echo=瀬古」は凹んだ所、窪地ではないかと調べたら瀬古、佐久は凹んだ所で日本では「迫=sacho」を含む地名は凹んだ場所だそうです。沖縄の地名では、佐久川、佐喜真、数久田などが谷間の村落と推測されます。



# by newport8865 | 2018-09-17 22:00 | 地名 人名
「さく」という言葉。やまと言葉だと思われるものを集めてみた。
 なお、漢語では、「作」を初めとして沢山あるが、佐久の地名とは関係が薄いのではないかと思われる。

さく【幸く】
〔副〕「さきく(幸)」の上代東国方言。*万葉‐四三四六「父母が頭かき撫で佐久(サク)あれていひし言葉(けとば)ぜ忘れかねつる」
 (筆者注:これまでこの「さく」に気が付かなかった。万葉集にこのような歌があったとは!)

さく
鍬(くわ)で田畑を打ち返すこと。また、その打ち返したところ。田畑の溝(みぞ)や畝(うね)。さくり(決)。
さくを切(き)る 鍬で、畑に溝をつくったり、畝間の土を農作物の根元に寄せかけたりする。
 (筆者注:これは、父が佐久の語源候補として挙げているのを聞いた記憶がある。)

さく
植物「みくり(実栗)」「はますげ(浜菅)」「しおくぐ」などの異名。

さく
魚を大きくおろした身。「まぐろ(かつお)をさくにおろす」

さく【裂く・割く】
Ⅰ 〔他カ五(四)〕
1 一つにまとまったものを、手などで二つに離す。ひきやぶる。やぶく。割る。「布(闇・空気)を裂く」*塗籠本伊勢‐三八「うへのきぬの肩を張りさきてけり」
2 刃物などで切りひらく。切り割る。切り裂く。「鳥を割く」*私聚百因縁集‐六・五「此れは太子の為母后の胸を却(サク)」
3 目尻などを裂いて入墨をする。*古事記‐中・歌謡「胡恟子(あめ)鶺鴒(つつ)千鳥ま鵐(しとと)何ど佐祁(サケ)る利目(とめ)」
4 人と人との仲を隔てる。「夫婦の間を裂く」*頼政集‐下「夢にも中をさくと思はん」
5 一部を分けて他にあてる。「時間を割く」*書紀‐継体六年一二月(前田本訓)「抑由有り。縦(も)し削(サイ)て他に賜はば、本の区域に違ひなむ」
Ⅱ 〔自カ下二〕⇒さける(裂)


さく【佐久】
長野県東部の地名。佐久盆地の中央部にある。江戸時代に内藤氏一万五千石の城下町、中山道の宿場町として発達した岩村田が中心。鯉の養殖がさかん。昭和三六年市制。

さく【咲く】
〔自カ五(四)〕(「さかえる(栄)」「さかる(盛)」と同源で、勢いが盛んになるのをいうか)花のつぼみがひらく。*書紀‐大化五年三月・歌謡「もとごとに花は左該(サケ)ども」

さく【秀く】
〔自カ四〕(「さく(咲)」からの派生)波などが高く立つ。波頭が白く砕け散る。→さきたつ(秀起)。*万葉‐四三三五「今替る新防人が船出する海原の上に波な佐伎(サキ)そね」

さく【離く・放く】
(「さかる(離)」に対する他動詞)
Ⅰ 〔他カ下二〕
1 間を離す。ひきはなす。*書紀‐允恭八年二月・歌謡「細絞形(ささらがた)錦の紐を解き舎気(サケ)て」
2 二人の仲を隔てる。ひきさく。*万葉‐三四二〇「上毛野佐野の舟橋取り放し親は佐久礼(サクレ)ど吾は離るがへ」
3 (他の動詞の連用形に付いて、その動作をすることによって)思いをはらす。気を紛らす。*続日本紀‐宝亀二年二月二二日・宣命「誰にかも我が語らひ佐気(サケ)む、孰にかも我が問ひ佐気(サケ)むと」
4 遠方に目を放つ。遠くを見やる。*古今‐四〇六「あまの原ふりさけみればかすがなるみかさの山にいでし月かも」
Ⅱ 〔他カ四〕Ⅰに同じ。*万葉‐四五〇「行くさには二人わが見しこの崎を独り過ぐれば情(こころ)悲しも一云見も在可(サカ)ず来ぬ」

さくい(‥ゐ)【栄井】
(「さく」は永遠に栄えるの意)良質の井戸をたたえていう語。また、井の神の名。*延喜式・祝詞‐祈年祭(九条家本訓)「生井・栄井(サクヰ)・津長井・阿須波・婆比支と、御名者白て」
 (筆者注:栄だけでは、「さか、さかえ、はえ、はやし」と読む。)

さくいし【佐久石】
長野県佐久市大沢から切り出す淡灰緑色の安山岩。

さくさく
〔副〕
1 水などが滞りなく軽快に流れるさまを表す。さらさら。*宇治拾遺‐一・一八「白く新らしき桶に水を入れて、此の釜どもにさくさくと入る」
2 歯で物をかむ音、野菜などを刻む音、雪や砂などを踏んで歩く音、鍬(くわ)、鋤(すき)などで耕す音など、連続する軽快でさわやかな感じのする音を表す語。「さくさくと林檎をかじる」
3 ものごとをきっぱりと言うさま。*日葡辞書「Sacusacuto(サクサクト) モノヲ ユウ ヒトヂャ」

さぐじ【三狐神】
(「みけつかみ(御食神)」の当て字である「三狐神」を音読した「さんこしん」の変化)農家でまつる田の神。

みけつ【御食つ】
〔連語〕(「つ」は「の」の意の格助詞)天皇の食料の。御飲食物の。
御食つ神(かみ) 
1 食物をつかさどる神。大宜都比売神(おおげつひめのかみ)・保食神(うけもちのかみ)・倉稲魂神(うけのみたまのかみ)・豊宇気毘売神(とようけびめのかみ)・若宇迦乃売命(わかうかのめのみこと)など。
2 宇賀御魂神(うかのみたまのかみ)、すなわち稲荷の神の異称。俗に「三狐神」と当て字されたので、狐にこじつけられる。
御食つ国(くに) 天皇の食料を献上する国。*万葉‐九三四「朝凪に楫の音聞こゆ三食津国(みけつくに)野島の海人の船にしあるらし」
御食つ物(もの) 神への供え物。天皇の食膳に奉る食物。*書紀‐雄略一二年一〇月(前田本訓)「饌(ミケツモノ別訓おほもの)を覆(こほ)しつ」 (筆者注: この下の、石神のミシャグジのほか、御三狐神で、ミサグジの可能性は?)


さぐじ【石神】
「しゃくじん(石神)」の変化した語。

しゃくじん【石神】
奇石、石棒、石剣などを神体としてまつった神。安産、良縁、治療、子育てなどの霊験があるという。いしがみ。 (筆者注:改めて ミシャグジ とは 御石神のことだろうか?)

いしがみ【石神】
Ⅰ 神霊が石にこもり、また、石に寄りついて顕現するという信仰に基づき、その依代(よりしろ)をまつった神。しゃくじん。
Ⅱ 狂言。各流。妻に離縁話を持ち出された夫が、妻の祈誓する石神になりすまして自分に都合のよい託宣を下す。



さくぼんち【佐久盆地】
長野県東部、浅間山の南側に広がる高原性の盆地。古くからの馬の放牧地で、高原野菜の産地。佐久平。

さくむ
〔他マ四〕岩や木の間を押し開き、踏み分ける。踏み分けていく。*万葉‐二一〇「石根左久見(サクみ)て」

さくやま【佐久山】
栃木県大田原市の地名。江戸時代は奥州街道の喜連川と大田原の間にあった宿駅。

さくゆり【佐久百合】
ユリ科の多年草。伊豆諸島に生え、観賞用に各地で栽培される。茎は直立して太く、高さ一・五~二メートルになる。葉は長楕円形で多数互生し長さ一五~二〇センチメートルで短柄がある。七月、茎の先に径約三〇センチメートル、長さ一五~一八センチメートルの純白色に黄色の斑点のある広鐘花を数輪から一二、三輪つける。球根は扁球形で径約一〇センチメートルになり苦味がなく食用となる。ためともゆり。においゆり。はちじょうゆり。さっくいねら。

(筆者注: 園芸では、作百合の表記が多い。)


以上、Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) ゥ Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)小学館 1988からの引用
# by newport8865 | 2015-10-01 20:00 | 地名 人名
以前このブログのテーマ集をまとめたことがあった。

その中で、
(4)川上村 保元の乱の伝説 重仁親王(崇徳天皇の皇子。近衛天皇、後白河天皇の甥で、京都の仁和寺で亡くなったとされるが、御所平の大海道の山裾の神社になぜか重仁親王が祀られているという伝承があるらしい)
  御陵(みはか)山、御所平などの地名 http://www.kawakami.ne.jp/moriben/offmeetting2001/offmeetting.pdf#search='重仁親王 伝説 川上村'

川上村御所平横尾遺跡調査報告内の伝説のページ(pdf) http://rar.nagano.nii.ac.jp/file/750/20110516103753/0847%E6%A8%AA%E5%B0%BE.pdf

というテーマを書いておいた。

最近のこのブログの閲覧レポートを見たところ、「重仁親王と川上村」という検索語で検索されていたことが分かった。

そこで、改めて自分で検索をしてみたところ、なんときちんとまとめられた論文がネットで読むことができるのを発見した。たどっていってみると、学術情報発信システムSUCRAに掲載された論文であることが分かった。

直リンクは、以下のURLになる。

http://sucra.saitama-u.ac.jp/modules/xoonips/detail.php?id=BKSL060012

タイトル 悲運の皇子 : 重仁親王の流離
著者 雨海, 博洋 (Amagai, Hiroyoshi)
立正女子大学短期大学部 (Rissho Women's Junior College)

日付
出版年: 1970
作成日: 2012-11-07

とのことだ。

研究者の方の論文だけあり、手際よくまとめられていてとても参考になる。

ネットでの情報共有の利点を感じた。
# by newport8865 | 2015-09-27 14:49 | 歴史

佐久の日本酒

佐久は、最低標高がおそらく600mをくだらず、川上村や南牧村などは集落のある標高が1000mを軽く超える高冷地だが、旧称で八千穂村、佐久町あたりから臼田、野沢、浅科、小諸の御影新田まで美田が広がり、米作地として、隣国の群馬県まで米を「輸出」していたほどだったという。

八ヶ岳からの豊富で良質な美味き水、美味き米があれば、当然美味き酒が醸されることになり、いずれも小規模な酒蔵ながら、佐久地域には古くから続いている酒蔵が多い。小さい酒蔵だが、「夏子の酒」で書かれていたような大手酒造会社による樽買いや酒蔵閉鎖にもあまりならずに、けなねげに続いている。

http://www.dynax.co.jp/sinsen/sake/js_e.html

http://www.townfan.net/TownFanNet_saku_sake.htm

前の記事で書いたが、数年前の年末に帰省したおり、地元企業に勤務する弟が会社の同僚からいただいたという「寒竹」という日本酒を初めて飲んだのだが、その旨さに驚嘆したことがある。

南佐久では、旧八千穂村(現佐久穂町)の八千穂駅近くの黒澤酒造の井筒長。これこそ、父の故郷近在の酒蔵であり、故郷の酒と言っていいだろう。この黒澤家が地元の銀行八十二銀行の発祥の元の一つと聞いたことがあるので、酒蔵は地域の資本家だったのだろう。

旧臼田町の橘倉酒蔵は、佐久の政治・文芸の名門井出家が経営する。(この酒は飲んだことがない。)

その他、初鶯など文人墨客が愛すような名前の銘柄が多い。

実家の近くは、比較的大きな酒造会社の千曲錦酒造がある。

全国的に有名な酒蔵はないようだが、私が子どものころからほとんどの蔵がそのまま続いている(?)と思うので、需要と供給がそれなりにつりあっているのかも知れない。

私の高校時代の友人も「酒呑み百姓の会」なるユニークな町おこし的団体を立ち上げ、自分たちで酒米を栽培し、小諸の地元の酒蔵に特別に仕込んでもらったということを聞いたことがある。佐久の伝統を継ぐものかも知れない。

獺祭のように有名になってほしいとは思わないが、醇なる酒はこのまま永らえてほしいものだ。
# by newport8865 | 2015-09-16 07:00 |