2017年09月24日
379 須 久
20170401 太宰府地名研究会(神社考古学研究班)古川 清久
「ここでは、佐久を「柵」と関連付けて考えられることの例としてあげましたが」という引用のされ方をしている。
しかし、ここの文意は「柵を『き』と読ませていることから、柵=佐久説は弱いのではなかろうか?」という疑問文で「弱い」ことを主張しようとしているつもりなので、何とも落ち着かない気分ではある。
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車からこの場所はわかりにくいのですが、舟からは見ると河原が広いるこの場所は目印でした。しかも、浅瀬になっているので、舟の入り江(浦)になり、アイヌ人の出入りの場所/要所になったことがわかります。佐久というコタン(集落)ができ、音威子府ができました。そして、どんどん川上に生活の場を求めて「加伊」が広がったようです。」(この旅行案内の著者の記述。佐久というコタン名の由来までは書かれていない。)
https://ameblo.jp/nomaru1256/entry-12223868534.html
「佐久の由来は、サツコタン川からで、アイヌ語の「サク・コタン・ナイ」(夏・部落・川)、昔は夏に漁撈のため魚の沢山獲れる佐久川の河口にコタンを作っていたようである。」
http://www.ekinavi-net.jp/railway/jr-soya02/saku/index.html
「地名はアイヌ語の「サク・コタン・ナイ」(夏の村のあるところ)の上部をとったもので、昔は漁のため夏の間だけ天塩川の川岸でアイヌが生活をしていたという。アイヌ語に漢字を当てた地名であり、入植者の出身地名に由来するものではない。」
北海道中川郡(天塩国)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B7%9D%E9%83%A1_(%E5%A4%A9%E5%A1%A9%E5%9B%BD)
なお、積丹半島の シャコタンも、 サクコタン の訛り(どちらが訛りかは分からないが)という。
http://www.asahi-net.or.jp/~hi5k-stu/aynu/syakotan.htm
「「積丹」という地名は、積丹川の川口にあった部落名による。この部落は夏になるとアイヌが漁撈に集まったため、「サクコタン」と呼ばれた。この「サクコタン」が「シャコタン」となり、広く用いられて、積丹川、積丹岳、積丹半島などと和人によって名づけられていったのである。」
◇苗字としての「佐久」 https://name-power.net/fn/%E4%BD%90%E4%B9%85.html
長野県 諏訪郡富士見町 乙事 という地域に、「佐久」姓が多いことが分かった。
◇「佐久」地名
https://matome.naver.jp/odai/2145300760025777801
佐久
→佐久地名の初見は「三大実録」貞観八年(866)の条に「佐久郡妙楽寺、定額寺となる」とある。
このあたりは、仁和四年(888)の八ヶ岳崩落、千曲川大洪水により多くの湖沼が出現し、小海・海瀬・海尻・青沼・海の口・馬流など水にちなむ地名が多い。
佐久の由来については
①佐久の総社新海?神社の祭神が諏訪大新の子、興波岐命であり、この命は昔は新開(爾比佐久)の神であるところから佐久という説
②佐紀沼は奈良県北西の湿地であるが、開墾された田をサキ沼ともいうので、これが転じた説
③サク地名は全国的にあり(瀬古・迫・佐久間)、川によって台地が侵食された谷に多く中世以降はこれが田畑の畝となったとする説
◇ 長野「地理・地名・地図」の謎 意外と知らない“信州”の歴史を読み解く!
https://books.google.co.jp/books?id=KaL6DAAAQBAJ&pg=PT95&lpg=PT95&dq=%E3%80%8C%E7%8B%AD%E3%81%97%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%80%81%E3%81%88%E3%81%8F%E3%82%8B%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E6%84%8F%E5%91%B3%E3%81%AE&source=bl&ots=DhIivDfZ14&sig=jPLwsm-FAATFtB1G2dXBQ6R_ovQ&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwji59DgwMPdAhUMWbwKHT8TDvEQ6AEwAHoECAAQAQ#v=onepage&q=%E3%80%8C%E7%8B%AD%E3%81%97%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%80%81%E3%81%88%E3%81%8F%E3%82%8B%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E6%84%8F%E5%91%B3%E3%81%AE&f=false
「サクは、狭い場所を表す「狭し」と、えぐるという意味
◇ 佐久郡(長野県)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E4%B9%85%E9%83%A1#cite_ref-2
和銅5年(712年)編纂の古事記に登場する伊弉諾命の孫神である宇都志日金拆命(うつしひかなサクのみこと)が開拓したので「拆 サク」となったという。
◇うつしひかなサクのみこと
http://www.genbu.net/saijin/utusihikanesaku.htm
佐久に関係ありと記されている。
https://nihonsinwa.com/page/2006.html
こちらでは、安曇野連の祖先神とのこと。安曇と佐久の関係を指摘したものは記憶にないが。
◇迫 について
http://www.qsr.mlit.go.jp/miyazaki/html/kasen/iware/main/tu.htm
165 津蟹ヶ迫(つがにがさこ) 宮崎市 | |
迫(さこ)とは狭(せま)く細く行き詰ったような谷、セコ(世古、瀬古)、サク(佐久、作)などと同じ意味。大淀川下流南部には30余りの「迫」のついた地名があり、その多くは里山の間に散在し、奥まった水田や平地、小谷である。津蟹(つがに)とは県内のほとんどで使われるモクズガニの方言で、津蟹ヶ迫はツガニが多く棲息(せいそく)していた迫が語源である。似たような地名に大蟹ヶ迫(おおかにがさこ)、蟹ヶ迫(かにがさこ)(郡司分)がある。迫田(大塚)や天ヶ迫など迫が付く地名は、大淀川下流右岸だけでも50ヵ所ほどある。 |
◇地名をあるく 95.迫・砂 (岡山県高梁市)
http://www.city.takahashi.lg.jp/site/koho/sako.html
「さこ」という地名には、「迫」「佐古」「砂」「狭処」という漢字を当てたり「瀬古」「佐久」などと表現するところもあります。いずれも狭あいな地形をした場所に使われているのです。
◇沖縄の地名
http://d.hatena.ne.jp/hetakes0/20151113/1447363760
凹んだ場所の一番下は「s-ocho=底」です。沖縄方言では「s-uchu=スク」です。スクが付く地名は「山に囲まれ
た谷あい、谷間」と推測されます。日本では長野県は山に囲まれた県です。そこに「s-achu=佐久」という地名があるのは不思議ではないです。 「s-echo=瀬古」は凹んだ所、窪地ではないかと調べたら瀬古、佐久は凹んだ所で日本では「迫=sacho」を含む地名は凹んだ場所だそうです。沖縄の地名では、佐久川、佐喜真、数久田などが谷間の村落と推測されます。
みけつ【御食つ】
〔連語〕(「つ」は「の」の意の格助詞)天皇の食料の。御飲食物の。
御食つ神(かみ)
1 食物をつかさどる神。大宜都比売神(おおげつひめのかみ)・保食神(うけもちのかみ)・倉稲魂神(うけのみたまのかみ)・豊宇気毘売神(とようけびめのかみ)・若宇迦乃売命(わかうかのめのみこと)など。
2 宇賀御魂神(うかのみたまのかみ)、すなわち稲荷の神の異称。俗に「三狐神」と当て字されたので、狐にこじつけられる。
御食つ国(くに) 天皇の食料を献上する国。*万葉‐九三四「朝凪に楫の音聞こゆ三食津国(みけつくに)野島の海人の船にしあるらし」
御食つ物(もの) 神への供え物。天皇の食膳に奉る食物。*書紀‐雄略一二年一〇月(前田本訓)「饌(ミケツモノ別訓おほもの)を覆(こほ)しつ」 (筆者注: この下の、石神のミシャグジのほか、御三狐神で、ミサグジの可能性は?)
しゃくじん【石神】
奇石、石棒、石剣などを神体としてまつった神。安産、良縁、治療、子育てなどの霊験があるという。いしがみ。 (筆者注:改めて ミシャグジ とは 御石神のことだろうか?)
いしがみ【石神】
Ⅰ 神霊が石にこもり、また、石に寄りついて顕現するという信仰に基づき、その依代(よりしろ)をまつった神。しゃくじん。
Ⅱ 狂言。各流。妻に離縁話を持ち出された夫が、妻の祈誓する石神になりすまして自分に都合のよい託宣を下す。
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