ふるさと佐久


by newport8865
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佐久という地名の語源

佐久という地名の語源はいろいろな説があるが、通説はないようだ。

下記のように神話に使われていることから、恐らく「佐久」は「開」(さく)と同じ意味で、咲く・割く・裂くに通じる古い言葉なのだろうと思う。

このはなのさくや‐びめ【木花開耶姫・木花之佐久夜毘売】 大山祇神(おおやまつみのかみ)の娘。磐長姫(いわながひめ)の妹。美しい容姿を天孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に好まれてその妃となり、火酢芹命(ほのすせりのみこと)、火明命(ほのあかりのみこと)、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)を生む。神吾田鹿葦津姫(かんあたかしつひめ)。神阿多都比売(かんあたつひめ)。(Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) ゥ Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)ゥ小学館 1988)

東北日本に住んでいた蝦夷(エミシ、アイヌ、縄文系日本人、まつろわぬものども)を弥生系日本人が「退治」したことが、中央の歴史(支配者側の公的な歴史)に留められているが、そのときの前進基地である砦を、「柵」といい、そこから佐久となったのではないかという推測が述べられているが、少々後世の「かねざわのき(かねざは‥)【金沢柵】」後三年の役の時、出羽の豪族清原氏が拠った城柵。秋田県横手市金沢にあったとされる。かなざわのき。(Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) ゥ Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)ゥ小学館 1988)は、柵を「き」と読ませていることから、柵=佐久説は弱いのではなかろうか?

(半可通の知識の羅列なので、この項も今後考察を深めていきたい)

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なお、ヤマトタケルの熊襲退治の神話にもあるように、縄文系日本人は九州地方でも勢力を張っていたのだろう。現在、沖縄県に以前から住む人々と北海道のアイヌの人々の遺伝の調査によると、非常に近しいということだから、佐久も含まれる中央高地でも繁栄した縄文系日本人が次第に中央部に勢力を張った弥生系の人々に周縁部に追いやられたのだろう。

「佐久 地名」で検索したら、佐久関係の素晴らしいサイトがあった。「佐久の風はふるさとの風」
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by newport8865 | 2005-11-17 20:02 | 地名 人名