ふるさと佐久


by newport8865
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群馬県藤岡市と佐久地方の関係について

ブックマークさせてもらっている四方赤良さんの「長野県の歴史」の佐久の歴史に、藤岡市には芦田町や岩村田町という地名があるという記事があり驚いた。

 
天正18年(1590)7月小田原城は遂に落城し、北条氏は滅び、関東の地は徳川家康に与えられました。これにより徳川旗下の松平康真も転封を命じられ、領地を3万石に削られて上野国藤岡城(群馬県藤岡市)に移りました。これに際して松平康真の領民、家臣達は、佐久に留まるか藤岡に着いていくかの選択に迫られ、寺社や商家も含めて多くの者達が藤岡に移り住みました。現在の藤岡市内には彼等が築いた岩村田町、芦田町という地名が残っています。



藤岡市のホームページにあたってみたところ、市民の質問コーナーに藤岡市史からの抜粋があり興味深かった。


現在の藤岡市街地には、地名としてはありませんが江戸時代末期には「芦田町(あしたまち)」の名前が使われていて、現在でも通称で使用されています。
「芦田町」の由来については、現在の藤岡市街地の中心となる城が「藤岡城(ふじおかじょう)」または「芦田城(あしたじょう)」と呼ばれ、天正18年(1590年)に芦田康貞(やすさだ)が築いたといわれています。この城に隣接していることから「芦田町」の名前が付けられたと思われます。
 この芦田氏の由来について、「藤岡市史」から部分的に抜き出して簡単に説明します。
「芦田氏は信州依田(よだ)氏より派生して、依田光徳が佐久郡芦田(立科町)に住んで芦田氏と称しました。光徳の死後子孫は光徳寺を建立し菩提寺(ぼだいじ)としましたが、現在、光徳寺は長野県立科町と藤岡市の2箇所にあります。光徳の子孫である信守(のぶもり)・信蕃(のぶしげ)親子は武田信玄配下の武将で、武蔵国御嶽城(みたけじょう)(埼玉県神川町)に入り、上野国浄法寺(じょうぼうじ)(群馬県鬼石町)に居住したという。その後、天正10年(1582年)武田氏滅亡により徳川家康配下となり、本能寺の変後の活躍によって信蕃の子、康貞が上野国緑野(みどの)郡(藤岡市)に領地を得て藤岡城(芦田城)の築造を開始しました。しかし芦田康貞は慶長5年(1600年)に事あって領地没収となったため、藤岡城は築造途中で廃城となりました。」

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by newport8865 | 2006-01-05 20:40 | 地誌