ふるさと佐久


by newport8865
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田野口藩 (竜岡藩) の 五稜郭

新海三社神社への参道の入り口にあたる場所、佐久市(旧 臼田町) 田口に、非常に小規模な「五稜郭」と称する城跡(別名竜岡城と称する)があります。現在、城跡は、小学校の校舎と校庭になっています。

今回調べていたところ、この城と田野口藩(竜岡藩)は、江戸時代の末(幕末)に出来たものとのことで、驚きました。

「松平(大給)乗謨(のりかた)の時に信濃田野口に移り、一代で明治維新を迎えた。」

松平(大給)乗謨(のりかた)についてはここが詳しく、竜岡岡城についてもよくまとまっています。

おぎゅう(おギフ)【大給】
姓氏。三河国賀茂郡大給に住した豪族で大給松平氏ともいう。始祖は物部尾興の裔が源頼朝から荻生庄の地頭に補任された荻生氏であるといわれる。乗元から代々大給城主となり、家乗が徳川家康に仕え、上野那波郡内で一万石、のち美濃高洲・浜松を経て館林六万石。さらに佐倉・唐津・鳥羽など転々と移封し、明和元年三河西尾領主となる。幕末には老中となって明治に至る。信濃竜岡・美濃岩村・豊後府内の大給松平氏はともに支族。

Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) ゥ Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)ゥ小学館 1988


五稜郭は、函館のものが有名で、こちらは規模も大きく、戊辰戦争で実戦に用いられたのですが、龍岡城の方はそのミニチュアモデルのようで、このような信州の僻地に建設した意味があまり分かりません。

函館五稜郭の方が龍岡城五稜郭よりも先に建設されたようですから、ミニチュアモデルとして先に作ったということもないようです。余計その理由が分かりません。

1864年(元治元年)3月 新陣屋(五稜郭)建設着工
1867年(慶応3年)4月 新陣屋竣工

五角形の1辺の部分の長さでみると、函館が約300mであるのに対し、龍岡城は約150mでほぼ半分。面積で言えば、およそ4分の1ということになり、ミニチュアサイズといっても良い位。


武田斐三郎は、五稜郭築城設計及び監督・函館奉行支配諸術調所教授役。
五稜郭は我が国はじめての洋式築城で、安政4年着工、7年の歳月を費やして、元治元(1864)年に竣工しました。のち旧幕府脱走軍がこの城に拠り、箱館戦争の本城となりました。
 http://www.hakodate-jts-kosya.jp/p_goryo_hi.html

これらを改めて調べる前には、田野口藩は、新海三社神社の祭礼のために設けられたのではないかという頓珍漢な仮説を考えておりましたが、まったくの妄想でした。
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by newport8865 | 2006-01-13 20:13 | 名所・旧跡 案内