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ふるさと佐久


by newport8865
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蛙文様が象徴するもの

縄文土器の蛙文様が何を象徴するかについて、ネットで検索してみたが、明確な答えは見つからなかった。ただ、「精霊の王」で紹介されている山梨県の旧・須玉町所蔵の土器には、(出産土器)と注意書きがされていた。

◆井戸尻考古館
半人半蛙文有孔鍔付樽 国重要文化財 藤内遺跡 高さ51㎝
・・・それに紡錘形の蛙の背には、女性器の意味が重ねられているようでもある。・・・
そして、このような関係を縄文中期の土器文様と対比すれば、蛙文は同じように月の不死性を象徴していると判断でき、新しい命を産む女性の出産力は豊穣の象徴と考えられていたようだ。月と蛙と女性の複合からなる太陰的思想は、新石器農耕文化に特徴的な世界観であったと解釈される。


日本人はるかな旅展(国立科学博物館) 2001年9月の展覧会 

縄文時代の精霊たち 縄文人は、クマ、イノシシ、マムシ、カエル、オオサンショウウオ、ヒトなどの姿を土器にあらわし、また女性の土偶を作りました。これらは彼らの生活にとって重要なものを象徴していました。縄文人は、自然を森、山、土地、水、川などに分類し、それぞれに持ち主である精霊がいると信じて、信仰の対象にしていたようです。土器にあらわしたものは、祭りのさいに土器の中にいれた供え物を奉る対象であり、土偶は祈りを捧げる祖霊だったのでしょう。

◆カエルをあらわした土器 4000年前(中期) 千葉県ユルギ松 船橋市飛ノ台史跡博物館蔵



縄文土器の神秘 これは、先日紹介した「ブナ林と縄文文化」のサイト内の土器の解説(梅原猛?)


茅野市の中ッ原遺跡で大型仮面土偶が出土 女性をかたどったもの

縄文文化の超自然観 よくまとまっている
 元サイトは、明治大学の人類学のホームページだった。

人面把手付土器

■顔面把手付土器ともいう。深鉢のふちに、同時代の土偶と同じような顔がついている。
■人面把手付土器も意図的に壊されたようにばらばらになっていることが多く、土偶と似たような機能を持っていた可能性がある。


縄文の地霊

ミミヅク把手付深鉢と御所前人面深鉢との相同性からのテーマ解読
■著者紹介:西宮紘 (にしのみや・こう)


土器土偶 ホームページはこれ


把手付き縄文土器の人面把手
岐阜県高山市の小学校のサイト カエルの後脚部らしい模様とその間から人面が覗いているように見える。

富山の人面付き土器の破片 

八ヶ岳南麓の縄文土器 ムービーが見られるようだ


人面把手付深鉢 「精霊の王」で紹介された旧・須玉町の有名なもの 津金御所前遺跡出土 縄文中期 出産土器との注が記されていた!
表の胴部の両面と土器上部にある突出部の裏の3ヶ所に顔面があります。胴部にある顔面(人面)から足のような隆線が2本垂れているのが出産を表したものと考えられます。そして、突出部表にある一対の渦巻き文様は出産時の母親の苦しみの表情を表しているのではないかと言われています。
 破壊された状態で出土したものを復元したもの。


横浜市 栄区 公田町から出た縄文中期の土器の人面の取っ手は、関東地方最大のもの 横浜市立歴史博物館のパネルによると関東の土器は中部山岳の土器の影響を受けているようだ。

井戸尻考古館 図像が多いまとまったページ

尖石考古館 オフィシャルページとしては不満

大深山遺跡 おおみやまいせき 川上村の大深山遺跡からの出土品は、古い考古館から文化センターに移されているようだが、オフィシャルサイトがないのは残念だ。是非作成してほしい。


◆佐久地方の縄文遺跡について調べたが、ネット上には概観できる地図はないようだ。

■群馬県富岡の南蛇井増光寺遺跡(なんじゃいぞうこうじいせき) 佐久と群馬との影響関係がみられるようだ

長野県の佐久地方では栗林式土器を出自とする櫛描横羽状文、斜走文が吉田式の主文様として盛行し、途切れることなく後期の新しい段階まで継承され、古墳出現期に終焉を迎える。これらは、信州の他地域では見られず、佐久地方の地域的特色となっている。これらの点を考慮すると本遺跡と佐久地方との深いつながりが想像される。


狭山丘陵の遺跡 ここでも「佐久地方」への言及があり。

②中部山岳ルート 
 『一方で、同じ時期に中部山岳ルートをたどった結果、北関東や佐久地方で発達した土器が秩父市・藪(やぶ)遺跡(埼玉考古学会『埼玉県土器集成4』。一九七六)や町田市・椙山(すぎやま)神社北遺跡(椙山神社北遺跡調査会『椙山神社北遺跡』・一九八一)でも見つかっており、多摩地方の西端がこのルートの影響をも受けていたことも明らかになっている。』
 (以上、青梅市史 上 P146~167)



■北相木村の入口に近い縄文早期の栃原洞穴遺跡(有名な相木人)

佐久の遺跡について リンクを張らせてもらっている「佐久考古学会」の会報

■佐久の人面土器
宮平の人面土器  (北佐久郡 御代田町) 
愛称:あくびちゃん
 あまり人面がはっきりはしていないようだ。

「古代史」 (塚田敬章さん)のページで、佐久について論考しているものが見つかった。滑津川についても言及されている。水草の豊富な川だったが。

http://boat.zero.ad.jp/~zaw10107/5/kika_3.htm

「シャク」は容易に「サク」に転ずるでしょう。「シャクジン」、「シャゴジ」、「佐久神」という正体不明の古い信仰がありますが、これも呉・楚人の祭る鯰神と考えれば謎が解けそうです。


佐久町商工会のページ 旧・佐久町の石棒など ツアーができるようだ。

浅間縄文ミュージアム  御代田町のメルシャン美術館に併設されているようだ。国の重文の焼町土器(御代田町川原田遺跡出土)もあり。相当活発に活動している博物館のようだ。近くを通りかかったことがあったが、まだ入館したことがない。町のホームページには町の関連施設として紹介されていた。

遺跡関係のリンク集 北相木の博物館も紹介されている。
ここに立派な博物館があるのだから、川上村も馬場平遺跡、大深山遺跡など重要な遺跡博物館をぜひ建ててほしいものだ。


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なお、我が家にある土製の人面は佐久地方の出土のものだ。家族の中では、一見して非常に稚拙な造型なので子どもの粘土細工のようだと話していたのだが、表面採取のできる場所にあったことや人面把手付土器の図像を見てみると、これらの人面把手の一部だという可能性はかなりあるかもかも知れない。 今度確認してみたい。
by newport8865 | 2006-01-27 20:00 | 神話 伝説 昔話