ふるさと佐久


by newport8865
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梅原猛 朝日1/31朝刊 「反時代的密語」 天台本覚論とアイヌ思想

アイヌ文化についてのエッセイとして読んだ。

人類学者の埴原和郎氏などの研究によりもともと日本列島に住み始めた縄文人の末裔がアイヌ人(ウタリと呼ぶのが適切のようだが以下通称を用いる)や南西諸島人で、現日本人の多くは縄文人とそれ以降の渡来人の混血だということが明らかになっているようだ。(先日のテレビ放送でも、弥生顔、縄文顔について人類学者が一般向けの教養番組で、タレントの顔を分類しながら面白おかしく解説をしていた)

参考:歴史と世間のウラ というサイトは面白い

現代まで辛うじて続いているアイヌ文化は、当時の縄文文化を継承しており、天台密教の「一切衆生悉有仏性」(生きとし生けるものはすべて本性は仏である)からさらにすすめて「草木国土悉有成仏」(ありとあらゆるものはすべて仏になる)」という日本仏教独自の思想の元に、その縄文文化を継承したアイヌ文化・宗教観があるのではないか、と梅原猛は書いているようだ。アイヌ語の地名では山も川も擬人化されているというところにその根拠の一つがあるようだ。

(とすると、八百万(やおよろず)の神々も同じ縄文的なアニミズムの現れだろうか?)

アイヌ語の地名は、北海道以外にも多く残され、アサマ、チクマなど佐久にも深い関係のある地名もアイヌ語由来だという説がある。また、先に北海道の佐久という駅名について触れたとき、そのサクの語源はアイヌ語にあるということが述べられていたほどだ。

佐久はアイヌ語のサクコタンナイからきていて、サク・コタン・ナイ(夏の・村・川)で夏に生活する集落のある川だったことから名付けられている。


縄文学の一つとして、アイヌ民族の言語、文化、風俗、習慣などを研究する分野はあるようだが、その成果はどうなのだろうか?

その北海道の佐久の地名を発見した旅行で稚内を訪れ、その地の博物館で、アイヌ系の文化の分布が北海道本島だけではなく、沿海州やサハリン、そして確か千島アリューシャン列島方面にもあることを知った。現存するアイヌ文化はそちらから(海外)の影響も多分に受けているのだろう。

また縄文遺跡・土器が北海道各地で発見されたことを、遅ればせながらこの博物館の展示によって知った。その後、本州以南では縄文文化から弥生農耕文化に移行したが、北海道では農耕文化の影響はなかったようだ。非常に不思議だ。縄文期に津軽海峡を渡れた人々が、なぜ弥生時代には北海道へ渡ってその文明を伝えなかったのだろう。自然的条件が大きく異なったためか?(沿海州、サハリン、千島アリューシャン列島方面では縄文系の遺跡の発見などはどうなのだろうか?)

いわゆる蝦夷(えみし、えぞ)と呼ばれ、平安時代には奥州藤原氏の文化を花開かせた民族が、縄文日本人の直系の人々だとすると、はるか時空を超えており、北方・大陸系の外部影響を除外はし難いだろうが、アイヌの文化人類学、民俗学的な研究と縄文の文化研究について調べてみたいものだ。

えみし【蝦夷】
(「人」の意のアイヌ語emchiu enchuに由来)「えぞ(蝦夷)Ⅰ」の古称。*書紀‐神武即位前・歌謡「愛瀰詩(エミシ)を一人(ひだり)」

Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) ゥ Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)ゥ小学館 1988

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by newport8865 | 2006-01-31 20:56 | 地名 人名