川上村の蝉 続き
2006年 08月 21日
このお盆休みに、佐久に住む両親の家に帰省した際に、両親や弟に川上村に住んでいた頃のセミの鳴き声の記憶を尋ねてみた。
弟は、私と同様、セミの鳴き声の記憶がないという。
佐久の別の土地育ちの父も、家族帯同で川上村で6年間暮らしたのだが、やはり記憶に残っていないそうだ。
ただ、川上村で生まれ育った母は、記憶はあいまいだが、実家の裏のお寺の森などで、ミンミンゼミやヒグラシを聞いたことがあるし、野辺山高原に属する埋沢(通称うずみ)に畑仕事に向かう途中など、林間からセミの鳴き声を聞いた記憶があるという。
私たちが川上村で暮らした昭和40年代は、農薬の空中散布が盛んに行われた時代で、空中散布の日には、「住民はできるだけ外に出ず、洗濯物も家に取り込むように」と地区内の放送が流されたくらいだったので、何年にも渡るそのような農薬散布の影響で、川上村の集落部のセミの声が聞こえなくなったのではないかというのが、我が家での結論だった。
弟は、私と同様、セミの鳴き声の記憶がないという。
佐久の別の土地育ちの父も、家族帯同で川上村で6年間暮らしたのだが、やはり記憶に残っていないそうだ。
ただ、川上村で生まれ育った母は、記憶はあいまいだが、実家の裏のお寺の森などで、ミンミンゼミやヒグラシを聞いたことがあるし、野辺山高原に属する埋沢(通称うずみ)に畑仕事に向かう途中など、林間からセミの鳴き声を聞いた記憶があるという。
私たちが川上村で暮らした昭和40年代は、農薬の空中散布が盛んに行われた時代で、空中散布の日には、「住民はできるだけ外に出ず、洗濯物も家に取り込むように」と地区内の放送が流されたくらいだったので、何年にも渡るそのような農薬散布の影響で、川上村の集落部のセミの声が聞こえなくなったのではないかというのが、我が家での結論だった。
by newport8865
| 2006-08-21 20:43
| 自然