ふるさと佐久


by newport8865
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武田信玄の信濃侵攻と佐久

『風林火山』のドラマには、井上靖の原作よりも詳しく、武田信玄による信濃侵攻が詳しく描かれている。

ドラマの主人公が山本勘助で、大団円が第5次?川中島の戦いの『鞭声粛々』での激戦と勘助の討ち死にに設定されているのだろうから、それゆえその後の信玄の西上作戦の頓挫は描かれないのだろうから、それまでのエピソードを細かく描くことになるのだろう。

佐久出身者としては、地元の地名や地元の武将たちやが多く登場するのは興味深いが、佐久の特に志賀城(城主 笠原氏)、内山城などが武田に持続的に歯向かうことの見せしめのための大虐殺にあったり、捕虜が武田の黒川金山に連行されたという新田次郎『武田信玄』の記述を想起すると、画面をみながら慄然とすることがある。

武田の支配の後、織田、徳川と支配者は代わったが、それでもその時代時代の先祖たちが何とか生き延びていてくれたからこそ、今の自分があるのだと思う。ドラマを見ながら、自分の先祖たち(450年ほど前なので、20世代以上前になるため、単純計算では2の20乗という膨大な数の先祖の延べ人数になるのだが実際は重複があるだろうからもっと少ないとは思う)はその時代、どこでどうしていたのかという感慨を持つことがある。

ところで、私の父の実家の墓地の裏山には、武田の「狼煙台」だったという言い伝えが残されている。地元の人たちの慣用的な呼び名だったかも知れない。そこは、近年地元の自治体によって公園として整備され、小規模の城(砦)跡として以前とは違うまったく明るい雰囲気の場所になっているが、私が子ども時代に祖父やおじ、おば、いとこたちに会いに何度も遊びに行った頃は、伯父や従兄もその小山の頂上方面には連れて行ってくれたことはなかったように思う。先に述べたような城跡や狼煙台跡ということが伝承されているため、少々不気味な雰囲気もあった。

この城(砦)跡の城主などは、地元の旧家の家系図や古文書からおよそのことがわかっているようだが、甲斐と信濃北部(川中島)を結ぶ狼煙台として使われたというはっきりとした史料は見つかっているのだろうか?もし見つかっていないとしてもそれが、自分の父の生家にはそのように昔話(伝承)として残っているというのは、史料だけでは歴史は記述できないということの一面の証拠であるようにも思われる。

さて、ドラマに登場する佐久から長久保にかけての大井(一族)、相木(市兵衛)、望月などは今でも地名として残されているが、諏訪や大井の残党と一緒に小諸の布引城にこもったという額岩寺(がくがんじ)という武将は僧侶の出だったのだろうが、稀な姓として印象に残っている。、どのような勢力だったのだろうか? 

p.s. 佐久平からみた風林火山 というページを見つけた。
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by newport8865 | 2007-06-07 20:09 | 神話 伝説 昔話