ふるさと佐久


by newport8865
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武田信玄の佐久攻め 志賀城 内山城

前回6/17(日)の『風林火山』は、新田次郎の『武田信玄』でも詳しく描かれた佐久侵攻だった。テレビドラマでは、これまでの謀略による城攻めではなく、晴信の主導による力攻めにより、佐久の豪族たちが皆殺しになった様子を描いていたが、さすがに多くの首級をさらしものとしたり、多くの捕虜を武田の黒川金山に連行したりという残酷なエピソードは避けていた。

大井とか笠原とか真田、祢津などの姓は、中学、高校のときの同級生にもあったが、当時の武将の一族がそのまま命脈をつないだ表れだろうか?

相木市兵衛は相変わらずの活躍で、また、いよいよ真田幸隆が武田に属すことになり、その家臣の春原(すのはら)一族も(現在も東御市には春原家住宅という旧家跡が史跡になっている)登場した。

真田家が後に上州の沼田にも領地を得たのは、幸隆が落ち武者として安中に居た頃に何か上州と縁ができたためだろうか?

なお、真田幸隆の息子たちが二人登場したが、昌幸は三男とのことなので、未だ産まれていないようだ。

追記:2007/06/24 今晩の『風林火山』によれば、志賀城攻めは次回になるらしい。甲府(府中、古府中)の真田館で、相木市兵衛が真田幸隆に対して「佐久がまた背いた。志賀城の笠原氏だ」と相談し、幸隆が「相木殿の同族ではないか?上州勢とも縁続きだ」と答えていたのだ。また、晴信が次回の志賀城攻めで、信虎のごとき残虐な力攻めをしようとしており、板垣信方などが懸念を露わにし、勘助の進言も退けられるようなのだ。

佐久と上州西部は、いくつかの非常に高所を通過する峠道により相当交流が活発であり、佐久の豪商といわれた神津氏(島崎藤村の『破戒』の出版を援助)や、小諸商人も、上州と信州の交易により財を成したらしい。また、高冷地ではあるが、佐久は「肥沃の地」であり、相当古い時期から米どころであったらしい。佐久の地侍の武田への不服従はそのような経済的な背景もあったのだろうし、上州との深い関係による援助を頼みにしていたこともあったのだろう。また、武田としても佐久、小県の米の確保という理由もあり佐久侵攻を執拗に行ったのではあるまいか?

その頃、佐久の新海神社はどのようなポジションにあったのだろうか?
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by newport8865 | 2007-06-19 20:46 | 歴史