ふるさと佐久


by newport8865
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浅間縄文ミュージアム主任学芸員 2007年度岩宿文化賞受賞

2008/2/23(土)朝日新聞 3版 夕刊 第10面にの文化欄(culture & entertainment)のテークオフという記事で紹介されていた。「旧石器研究 易しく伝える」。

堤隆(つつみたかし)さんという御代田町職員の方で、御代田町町営の浅間縄文ミュージアムの学芸員だからなるほど公務員なんだと思った。ちょうど私と同世代の人だが、このブログでも紹介したことのある野辺山の矢出川遺跡などの周辺で見つかっている後期旧石器時代末、今から約1万数千年前の「細石刃」(さいせきじん)が専門の研究分野なのだという。考古少年だった中学生の頃から野辺山に出かけていたというので、年季が入っている。地方の研究者がこのような賞を受賞することは稀なことらしく、本人の談話でも「励みになる」と書かれていた。まずは素直に受賞を祝福したい。

日本列島に最初に住み着いた人々、寒冷期の時代、とくれば、ナウマンゾウを想像する。野尻湖のナウマンゾウは約4万年前からいたというし、野尻湖人もその頃から活動していたらしい。それよりも少し時代は下るのだが、先日も訪れたあの野辺山高原で(地形は変わってはいるだろうが)、マイクロな石器を木の棒に埋め込むという手間のかかるやり方をしていた人々がいたらしいのは、非常に不思議な感じだ。(wikipedia

野尻湖人の4万年前という時代は、旧人とされるネアンデルタール人の滅亡が3万5千年前とされるため、微妙なところだが、「野辺山人」は完全に新人(ホモ・サピエンス)であり、現代日本人の直接の祖先の系統の1つなのだろうと思うと感慨深いものがある。

なお、この野辺山近辺のレタス畑は、私の親戚の畑も多く、学生時代には農繁期の手伝いに行ったこともある。比較的山裾の新規の開拓地の方では、森林との境界部分に、石器と見まがうような適当な大きさの形のいい石が多量にあったのを覚えている。それこそ沢山あった。そのことを父に話し、確かに山を削った斜面にはそのような石が以前から沢山あるので、それが人為的な石器なのか自然石なのか見分けは難しいだろうと話したことを思い出す。
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by newport8865 | 2008-02-24 10:04 | 歴史