ふるさと佐久


by newport8865
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川上村御所平の小正月行事(かんがりや)

小正月行事のことを調べていてたまたま、

どんど焼きは日本の国民的行事
    小正月行事の全国調査集計(平成21年版)

という調査を見つけた。

このサイトを知った人による回答で、必ずしも全国的な調査とも言えないが、この調査の中では、「かんがりや」「かんがり」という名称の回答はなかった。既に終了した調査のようだが、回答案を作成してみた。

また、Wikipediaの左義長に、小海、相木の「かあがり」と、川上の「かんがり、かんがりや」を追加した。

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小正月行事の全国調査報告書を拝見しました。
全国的にも珍しい「かんがり、かんがりや」という呼び名の行事を報告いたします。

地域 長野県南佐久郡川上村大字御所平字坂下

実施日:昭和40年代(報告者の小学生時代)には、小正月の1月15日。

名称:かんがりや(かんがり)、どんど(どんどん)焼き、道祖神のご年始(獅子舞)

場所:その片隅に質素な道祖神の祠が祭られていた大字御所平地区の公民館の広場。火の見櫓や消防団の消防ポンプ、多分庚申塔のようなものがあった。

参加者:小学生の男子。地域住民。

内容:いわゆるどんど焼きの「火祭り」は小正月の1月15日の夜に小字の住民が集まって行われました。

地域の小学生の6年生が「親方」となり、それ以下の小学生男子が「子方」となって年末に大人に助けてもらって近所の山から枯れ木や木の株などをリヤカーで積み下ろし、正月の初めから広場の真ん中で太鼓を叩きながら焚き火を続け(夜は近所の大人が燠を持ち帰った?)、正月休みが終わると近所の大人が火の番を行いました。子どもたちは学校が始まってからも夕方になると広場に集まり、火の番を行いました。15日の朝、地域の各戸の戸口に出された松飾を子どもたちが集めてから、改めて獅子舞の道具を公民館の倉庫から取り出し「道祖神の御年始」と唱和しながら地域の全戸を廻り、獅子舞を披露し、獅子の口で住民の頭を噛み、無病息災を祈りました。そのお礼に子どもたちが共同でお年玉を受け、それを後日子どもたちで学年順に多寡をつけて分けました。15日は夕方から大人たちが山から集めてきた杉の葉と集めてあった松飾で「神社」型の「神殿」を作り、夕方6時頃にそれを焚き火の上に載せ「どんど焼き」を行いました。この「神殿」のことを「かんがりや」(神上がり屋、かんがりや?、隣村の南相木村ではこの行事を「かあがり」とも言うそうです)と呼んだように思います。母や祖母は、上新粉そのものと、それに食紅や緑の色素を混ぜ、白、紅、うす緑の「おまいだま(御繭玉)」という団子の一種を作り、木の枝に挿して稲の穂のようにして、神棚に祭ったものを、子どもたちがどんどん焼きに持ち寄り、炙って食べました。正月の切り餅を持ち寄ることもありましたし、また書初めを燃やしその燃えカスが天に昇れば昇るほど書が上達する、どんどん焼きの火に当たると風邪を引かないなどとと言い習わしました。

趣旨:現在はどのように行われているかはわかりませんが、厳寒の中、年末から小正月まで続く子どもたち(男子)が主体となって行う祭礼で、春秋の村社の祭礼と並んで盛大なものでした。小字単位で同時に行われたため、他の地区の祭礼の様子は互いにほとんど知らないままです。

この祭礼自体道祖神の祠のそばで行われ、獅子舞を「道祖神の御年始」と唱えて各戸を回ったように道祖神のお祭りであり、「かんがり」と呼んだのは恐らく「歳神様」を天に「神上がり」していただくことに由来するものだと思います。川上村の「かんがり」「かんがりや」、南相木村、北相木村の「かあがり」については全国的にも類似の呼称はないようで、小正月行事の呼称としては珍しいものではないかと思います。このように道祖神、獅子舞、火祭りなど様々な信仰、習俗が習合したものだったように思います。

関連記事:2006/01/10 新海神社は延喜式内社ではなかったが・・・  


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by newport8865 | 2010-01-08 21:18 | 行事 風習