ふるさと佐久


by newport8865
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2006年 01月 05日 ( 4 )

この年末年始には佐久の実家に帰省。

買い物などで佐久平駅周辺を訪れたが、岩村田、長土呂間の広大な田園風景を覚えているものにとって今昔の感をいだかせる。

大型店が、国道141号新道(バイパスとはもう言わないだろう)の道沿いに林立しているのは、新道の周辺としてはよくある風景で(これによって折角の新道のスムーズな通行が阻害されるのだが)これはこれでいいのだが、集客力の大きい目玉の大型店のJUSCO自体が主要道路に平行するようには設置されていないためか周辺の道路設置が複雑化しているしまた佐久平駅の北側(浅間口)もやはり道路や土地整備が都市計画のマスタープランなしに行なわれているのか乱開発気味に思われるのが残念だ。その影響もあり、佐久平駅から浅間山の姿を拝むこともできなくなってしまった。

小海線中込駅前の商店街は自助的な努力により再開発を成し遂げ、新幹線駅を待ち構えていたというが、これも昔日の話となってしまった。しかし、その再開発は各地から視察団が訪れるほどの業績だったようだ。それに思いを馳せると新幹線駅周辺についても、地主たちがそのエゴを自助的に調整することにより、よりよい都市開発ができただろうと思うにつけ、現状が嘆かわしく思える。

歴史的な所産なのだが、日本の土地の多くは私有で、人口の大きな部分を占めていた江戸期の農民層の所有だった。武士などの支配層は課税権、行政権をもっていただけで、土地の所有権はなかったに等しいことが最近読み返した司馬遼太郎「花神」の記述で特に印象に残った点だ。この精神がその子孫である我々にも脈々と受け継がれ、土地への執着は非常に強いものがある。これが明治維新という文化大革命で、覆されなかったところに、その後の日本の土地神話、地上げ、バブル経済などのゆがみを生んだのだろう。それを、遅れてきた開発地の佐久平,長野道佐久インターチェンジ周辺でまた見ることになっている。
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by newport8865 | 2006-01-05 20:53 | 雑談
ブックマークさせてもらっている四方赤良さんの「長野県の歴史」の佐久の歴史に、藤岡市には芦田町や岩村田町という地名があるという記事があり驚いた。

 
天正18年(1590)7月小田原城は遂に落城し、北条氏は滅び、関東の地は徳川家康に与えられました。これにより徳川旗下の松平康真も転封を命じられ、領地を3万石に削られて上野国藤岡城(群馬県藤岡市)に移りました。これに際して松平康真の領民、家臣達は、佐久に留まるか藤岡に着いていくかの選択に迫られ、寺社や商家も含めて多くの者達が藤岡に移り住みました。現在の藤岡市内には彼等が築いた岩村田町、芦田町という地名が残っています。



藤岡市のホームページにあたってみたところ、市民の質問コーナーに藤岡市史からの抜粋があり興味深かった。


現在の藤岡市街地には、地名としてはありませんが江戸時代末期には「芦田町(あしたまち)」の名前が使われていて、現在でも通称で使用されています。
「芦田町」の由来については、現在の藤岡市街地の中心となる城が「藤岡城(ふじおかじょう)」または「芦田城(あしたじょう)」と呼ばれ、天正18年(1590年)に芦田康貞(やすさだ)が築いたといわれています。この城に隣接していることから「芦田町」の名前が付けられたと思われます。
 この芦田氏の由来について、「藤岡市史」から部分的に抜き出して簡単に説明します。
「芦田氏は信州依田(よだ)氏より派生して、依田光徳が佐久郡芦田(立科町)に住んで芦田氏と称しました。光徳の死後子孫は光徳寺を建立し菩提寺(ぼだいじ)としましたが、現在、光徳寺は長野県立科町と藤岡市の2箇所にあります。光徳の子孫である信守(のぶもり)・信蕃(のぶしげ)親子は武田信玄配下の武将で、武蔵国御嶽城(みたけじょう)(埼玉県神川町)に入り、上野国浄法寺(じょうぼうじ)(群馬県鬼石町)に居住したという。その後、天正10年(1582年)武田氏滅亡により徳川家康配下となり、本能寺の変後の活躍によって信蕃の子、康貞が上野国緑野(みどの)郡(藤岡市)に領地を得て藤岡城(芦田城)の築造を開始しました。しかし芦田康貞は慶長5年(1600年)に事あって領地没収となったため、藤岡城は築造途中で廃城となりました。」

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by newport8865 | 2006-01-05 20:40 | 地誌

佐久の市町村

平成の大合併で佐久の市町村も様変わりした。

小諸市
佐久市 (臼田町、浅科村、望月町が合併)
東御市 (小県郡東部町と北佐久郡北御牧村が合併)
北佐久郡 軽井沢町 御代田町 立科町
南佐久郡  小海町 佐久穂町(佐久町と八千穂村が合併)
        川上村 南牧村 南相木村 北相木村

合併等については、WIKIPEDIAの消滅した長野県の市町村に詳しい。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B6%88%E6%BB%85%E3%81%97%E3%81%9F%E9%95%B7%E9%87%8E%E7%9C%8C%E3%81%AE%E5%B8%82%E7%94%BA%E6%9D%91%E4%B8%80%E8%A6%A7

市町村変遷のページは体系的にまとまっている。

小諸市は、新幹線誘致段階から佐久市とは友好的ではなくなってしまい、また歴史的な自負からも小諸の名を失いたくないということ、財政が豊かでなく周辺市町村との合併プロポーズがないことなどから難しい立場にあるのではなかろうか?

軽井沢町と御代田町の合併はどうだろう?

また立科町は小県郡・上田市とのつながりが強いが、長門町と和田村が長和町となったばかり、また丸子町、武石村、真田町が上田市と合併ということなので、やはりすぐには合併にはいたらないだろう。

南佐久郡南部の町村は、険しい自然地形により分かれているため相互の交通の便が悪く、あるとすれば川上村と南牧村。南相木村・北相木村と小海町の組み合わせがあるだろうか?
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by newport8865 | 2006-01-05 20:12 | 地誌
明けましておめでとうございます。

佐久でgoogleしたところ見つかりました。

ホームページはこれです。

滋賀の大津というかつて都のあった場所であり、非常に古い神社のようです。その由緒に「この地は八張口、桜谷と呼ばれ『山岳裂けて低下の所を開くところがその名の由来であると社記に記されております。』」で、「裂く」に「佐久」という美名をあてたことが想像されます。
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by newport8865 | 2006-01-05 19:09 | 地名 人名