ふるさと佐久


by newport8865
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2006年 01月 12日 ( 4 )

昨日本屋で本を探していたら、偶然「佐久」の文字が目に飛び込んできた。

手にとってみると、「佐久に伝わる歌の風土記 北佐久編」 という表題で、著者は 小宮山利三 となっていた。

どのような著者かと経歴をみると、中学・高校音楽の教師とあったので、記憶の糸を手繰ってみると、多分自分が中学校時代に音楽を教えていただいた方に行き着いた。おそらくそうだろう。

バリトンの美声の持ち主で音楽についての素養も深く、油絵もよくした方だったと思う。

内容は、ちょうどバルトークとコダーイが、ハンガリーとその周辺で民謡研究した手法と同様らしく、テープ録音したものを楽譜におこしたもののようだ。昨日記した「道祖神の御年始」も採譜されていた。

おそるべきスピードで失われていく古くからの伝承をこのような形で記録しておかれるのは非常に重要な仕事だと思う。
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by newport8865 | 2006-01-12 20:50 | 雑談
更科、埴科の地は、森将軍塚の古墳以外にも、周辺の山の山頂、稜線部分に多くの古墳があり、いわゆる古代科野の国の中心だったとされる。

ところが、この地には、千曲川の対岸に、武水別神社という比較的規模の大きい神社があるが、あんずで有名な森の方には、由緒のある神社がないように思える。

王権と神社という点から少々不思議な感じがする。
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by newport8865 | 2006-01-12 20:34 | 地誌
新海三社神社の主神 おきはぎのみこと を googleで調べてみたところいくつか興味深いサイトがみつかった。

◆八千穂(佐久穂町)でセミナーを開いている方の面白いサイトがあった。
日本地震予知協会Webサイト ~雲にきこうよ~以下、神名の漢字表記は原則としてこれによる)の子興波岐命(オキハギノミコト)が
建てたという新海神社に残っている。このように諏訪神社と深いつながりがある新海神社
からは、旧暦の正月頃に蓼科山頂に日が沈むのが見られる。 ...

◆このページは普通の旅行記かと思っていたが、「直さんの『中央構造線と古代史を考える』という壮大な仮説ページのうちの一ページだった。
新海三社神社佐久の新海三社神社は、佐久地方を開拓したといわれるオキハギノミコトを主祭神と
してまつっている。 オキハギノミコトは諏訪神社に祀られるタケミナカタの子供である。
タケミナカタは、オオクニヌシノミコトの子供で、天孫族の出雲の国譲りの争いに抵抗 ...

古代鉄関連の地名 その1 には 砂鉄に関係のある地名として 「須坂」、ダイダラボッチが産鉄関連の民話とされている。

また、佐久の茂来山(もらいさん)については、「茂来山(モライサン)鉄山遺跡 : 江戸時代に経営された製鉄跡」として紹介されており、諏訪の守屋山(モリヤ、モレア、守屋、守谷、守矢)を想起するという示唆的な記述があった。モライサンは、蓬莱山(ほうらいさん)に似ている山名くらいに思っていたのだが、モリヤの当て字という指摘はなるほどと思う。

文明・技術の主要な要素である道具:石器(縄文時代の黒曜石の産地は諏訪に近い和田峠の星糞遺跡など!)から、金属器への進歩・伝搬と、古代の神々の征服・被征服神話・伝承には確かに何らかのつながりがあるだろう。出雲の荒神谷から大量に出土した銅剣。その後の製鉄によるより優れた道具である鉄器。狩猟採集経済よりも定住農耕経済の方が人々の生存に有利という判断はあったのだろうが、優れた道具・武器を持つ人々により、劣った武器を持つ人々が侵略・吸収・追放されたという歴史でもあるだろう。

諏訪神話は次のように解釈することも可能だろうか?
モレヤ神(ミサグチ神)を奉ずる縄文系の石器を道具としていた狩猟・採集のグループが古くから諏訪の地に住んでいた。諏訪湖の後背地である八ヶ岳の西南麓の豊富な縄文遺跡群。和田峠の黒曜石。

その人々が、出雲・安曇系?の銅器を用いるプレ弥生系?農耕グループ(タケミナカタノミコト、オキハギノミコトなどがシンボル)に侵略・吸収され、この農耕グループが大きな勢力を持ち、周囲の地方(佐久も含む)を侵略・吸収していった。

そこに、いわゆる天孫系の鉄器を用いる弥生系の水田農耕グループが九州、畿内から勢力を伸ばし、ついに出雲・安曇系の諏訪の勢力と衝突し吸収。鎮魂のために諏訪神社に前勢力のシンボルであるタケミナカタノミコトなどを祀った。前代の勢力は、荒ぶる神として祀らなければたたりをなすものとして神鎮め儀式を行なったのではなかろうか?ただし、古いモレヤ神信仰も消滅せずに継承され、それが諏訪大社に残る、御柱の祭儀として今に伝わっているのではなかろうか?


ところで、オキハギノミコトが佐久の「開拓神」とされているということは、農耕技術の伝承者ということにもなるだろう。佐久は、600mから1000mにいたる高地ではあるが、千曲川の沖積地で、水利も比較的よいため、相当古い時代から土地を開拓し畑や水田が開かれていたのではないかと思われる。新海三社神社も諏訪大社とパラレルで、先にミサクチ神が祭られ、その後オキハギノミコトをシンボルとするグループにより農耕がもたらされ、その後やは天孫系のグループにより水田農耕がもたらされ、オキハギノミコトグループを神社に祀ったということかと思われる。

新海神社の謎長野郷土史研究会機関誌
「長野」第211号(2000年5月) (500円)在庫あり 注文のページ

西本願寺坊官下間少進家伝来の善光寺如来分身仏・・・・・・・北川 央
松代藩山中代かき馬と領内牛馬数・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・古川 貞雄
善光寺歩行役一件・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・仁科 叔子
善光寺式刀印について・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・福島 貴和
続「古犀川」の記・・・仁和三年の大地震・・・・・・・・・・・・・・・・・・池田 三夫
新海神社の謎・・・その創建・興波岐命・東本殿について・・・・市川 武治
桑原のあたけ人形・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・堀内 暉巳
小諸牧野侯の系譜・・・五代将軍綱吉に関わって・・・・・・・・・・・翠川 渡
善光寺式黄金仏・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・小林 計一郎
日本木地師学会について・・・研究と実践・・・・・・・・・・・・・・・・・楯 英雄
ピカドン爆弾と金鵄・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・関川 喜一郎
絵で読む平家物語(18)
・・・六ヶ度軍・三草勢揃・三草合戦・老馬・一二之懸・二度之懸・坂落・・・小林 一郎・小林 玲子
(口絵)善光寺式黄金仏
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by newport8865 | 2006-01-12 20:10 | 神話 伝説 昔話
諏訪大社の主祭神 たけみなかたのみこと を GOOGLEで検索した。

中央構造線と関係づけた面白いサイトを発見した。
アンバマイカHome>遠山郷事典>中央構造線とは>(2)タケミナカタ・ロード

 
本居宣長は、阿波国に名方郡名方郷があり、そこに多祁御奈刀弥(タケミナトミ)神社があることを指摘しています。建御名方命は建御名方富命(タケミナカタトミノミコト)とも呼ばれていますから、建御名方の名は阿波国名方に由来するのではないか、という主張です。
 多祁御奈刀弥神社は現在も名西郡石井町に現存し、建御名方命と、その妻の八坂刀売命を祀っています。石井町は吉野川の南岸にあり、この吉野川に沿って中央構造線が走っているのです。


本居宣長の「古事記伝」が重要であるようだ。

記念館のホームページはここ

なお、建御名方命 は 訓み方は、「たけみなかたのみこと」 が正しいようだが、ネットでは 「たてみなかたのみこと」と訓む例が非常に多い。猛々しいという意味で「たけ」という名前らしいが、それなら「武」の字や「猛」の字の方が適当だと思う。このみことのライバル「たけみかずちのかみ」のたけも「建」を当てている。


たけみなかたのかみ【建御名方神】
日本神話の男神。大国主命の子。天照大神の使いの建御雷神の命に服さず力くらべをしたが負け、信濃国(長野県)諏訪湖まで逃れ、同地に鎮まったという。
Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) ゥ Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)ゥ小学館 1988


参考:
たけみなかたとみのみことひこがみわけじんじゃ【健御名方富命彦神別神社】
長野市城山にある旧県社。祭神は健御名方富命、彦神別命。上古、現在の善光寺の所に創立。持統天皇五年諏訪大社とともに勅祭が行われたが、善光寺に吸収されて年神堂として存続、明治一二年現在地に再興。水内大社。

たけみくまりじんじゃ【武水別神社】
長野県更埴市八幡にある旧県社。祭神は武水別神ほか。

たけみくまりじんじゃ【建水分神社】
大阪府南河内郡千早赤阪村にある旧府社。祭神は天御中主命ほか。

たけみかずちのかみ(たけみかづち‥)【建御雷神・武甕槌神】
日本神話の男神。天照大神の命を受けて出雲に降り、事代主神・建御名方神を服従させ、大国主命に国譲りをさせた神。神武東征のとき、霊剣を天皇に献上したともされる。

Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) ゥ Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)ゥ小学館 1988


諏訪大社研究記


神話と神々の系譜については 「八百万の神々を想う」 が大変詳しい。

それにしても、諏訪大社が、江戸時代に創建された長崎の氏神として尊ばれている諏訪神社のように全国に末社を多く従えることになったのは、どのようないきさつがあるのだろうか?タケミナカタノミコトを共通祖先とする集団が数多かったということだろうか?布教集団の存在は?秘教的な共通信仰の存在?

諏訪大社についてのリンク集

WIKIPEDIA 諏訪大社

◆たけみなかたのかみ で検索しても多くヒットする。

神々ファイル 建御名方神


◆神社関係のホームページ 非常に参考になる
神奈備にようこそ! 延喜式神名帳など参考になる。

玄松子の記憶
多くの神社を訪問された記録。詳しい解説、写真があり、参考になる。

悠久 古事記の現代語訳など参考になる。


信州大学の繊維学部の方の面白いエッセー「むかしむかしの信州のことばとひとびと」があった。佐久の平尾への言及がある。


縄文遠望という興味深いホームページを見つけた。

この中に 「裸の縄文人」「諏 訪 の ミ シ ャ グ ジ」と題して、佐久町の石棒についての考察が繰り広げられている小論があった。
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by newport8865 | 2006-01-12 20:05 | 神話 伝説 昔話