ふるさと佐久


by newport8865
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2006年 01月 13日 ( 3 )

平山郁夫の出世作「仏教伝来」シリーズが収蔵されていることは、結構知られている情報でしょうが、公式ページでは全く宣伝されておりません。電子展示室(収蔵品目録)にも載っていないのは何らかの理由があるのでしょう。また、この美術館の収蔵品の多くが、佐久市出身の「美術年鑑」社長だった油井一二氏のコレクションだということもあまり明瞭になっていません。

「平山郁夫 仏教伝来」で検索すると、これとかこれとかこれのように「佐久市立近代美術館蔵」と明記されて出てきますし、普通の観光案内にも目玉作品として紹介されています。

この公式ページは、宣伝が下手なのか、それとも「知る人ぞ知る」でいいと思っているかでしょうね。

ただ、この「仏教伝来」は有名作で、上記のような平山郁夫展に貸し出されることが多いようで、いつ行っても鑑賞できるというのではなく、事前に電話などで展示の有無を確認しておくことが必要でしょう。
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by newport8865 | 2006-01-13 20:51 | 名所・旧跡 案内
今年の干支(えと)にちなんで、上野動物園からの依頼により、川上犬の仔犬が3頭、上野動物園に貸し出され、この1月9日まで公開され大人気だったという。

この川上犬の産地(というのか?)川上村は、千曲川(信濃川)源流の村として知られている。主要街道の佐久甲州街道の道筋からも外れているため、往古は人や物の往来は相当閉ざされていたようである(金峰山の大弛峠、信州峠、野辺山を越えれば甲州であるし、三国峠を越えれば秩父なのでそれなりの交流はあったようだが)。

明治生まれの文豪島崎藤村は、小諸義塾の教師を務めていたおり、千曲川河畔を遡る小旅行を何度かしており佐久の各地に足跡を記しているが、その紀行を散文の「千曲川のスケッチ」(青空文庫へのリンク)というエッセイにまとめており、その中で川上村にも触れている。ただ、実際には足を踏み入れたことがなかったらしい。下記の引用部分が、川上村についての記述だが、川上村の人々にとってはあまり愉快ではないものだろう。ただ客観的にみれば、明治30年代の島崎藤村の在小諸時代はもとより、佐久の山奥の村村の暮らしは太古からこのようなものだったのではなかろうか?

ここから更に千曲川の上流に当って、川上の八カ村というのがある。その辺は信州の中でも最も不便な、白米は唯病人に頂かせるほどの、貧しい、荒れた山奥の一つであるという。


(川上の八カ村というのは、現在大字地名の 御所平、原、樋沢、大深山、居倉、秋山、梓山、川端下のことを言う。) 

旧石器時代の馬場平遺跡や、縄文時代の大深山遺跡が残されている川上村ではあるが、水田耕作が農業の中心となってからは、高冷地ゆえの貧しい苦労の多い生活を長く余儀なくされたのだろう。そのような時代に、人々の狩猟を助けたのがこの川上犬だったわけだ。(大深山遺跡などから犬の埋葬跡などが発見されれば面白いのだがどうだろうか。)


川上犬は、伝承としては秩父多摩国立公園に属する深山のオオカミと飼い犬が交配した子孫だと言われ、猟犬として勇敢で、飼い主への忠誠心が非常に強く、一人前となった成犬を別の土地の人に贈ったりすると、元の飼い主の家に戻ってきてしまう、という習性を強く持つという。(信濃毎日新聞「しなの動植物記」) 

ただ、以前、ニホンオオカミのこと調べたblog記事を読んだことがあるが、もともとオオカミと犬が分かれたのはほんの1万年ほど前のことで、遺伝子レベルではオオカミと犬はまったくの同じ生物だとのことだ。写真を見たが、以前ネットで見た多摩動物公園のシンリンオオカミの幼獣とそっくりだった!

このblog記事に張ってあるリンクを辿っていったところ、「日本の地犬」という網羅的なページがあった。川上犬が属する「信州柴」についても書かれている。

ところで、今回の上野動物園での公開は、Blogでも結構話題になっていたようだ。

テクノラティの「川上犬」での検索結果
http://www.technorati.jp/search/search.html?callCode=-324.9191&queryMode=main&query=%E5%B7%9D%E4%B8%8A%E7%8A%AC&language=ja

Oh~Wan Da Four Life (http://diary.tonten.chu.jp/?eid=69156) から川上犬の部分を全文引用させていただいた。(朝日新聞の記事のようだ)
東京・上野動物園。戌年の今年初め、一番人気は天然記念物「川上犬」だった。
公開最終日の9日には約1千人が会場に詰めかけた。
「干支にちなんだ動物展でこれほどの人気は初めて」と飼育担当者も驚いた。
 川上犬は秩父山地や八ヶ岳など標高2千㍍級の山々に囲まれた長野県南佐久郡川上村が主な生息地。
体高35~45㌢。信州系の柴犬である。「信州柴」の一種で猟犬だった。
1921(大正10)年ごろに県天然記念物に指定された。
威厳のある容姿から日本オオカミの血を引くとの言い伝えもある。
交流が制限されていたことから交配がほとんどなく純血が保たれてきたらしい。
 35年、国鉄小海線の開通による森林伐採のため外から人が流れ込んだ。
洋犬も一緒に入り、雑種化が進んだ。戦時中は食糧難から軍による撲殺命令も出た。
絶滅したかに思われたが、八ヶ岳に住む老人がオスとメスを保護していたという。
 現在の川上犬は、その子犬をもとに村人が川上犬に近い犬との交配を繰り返したものだ。
村内では現在50~60匹いる。保存会会長を務める藤原忠彦村長は
「完全復活には長い時間がかかるだろうが焦らずに純血度を高めていきたい」と話す。(以下略)

~『朝日新聞』より


純血度を高めるということは、遺伝病のリスクが増えることなので、困難な課題だと思う。天然記念物ではあるが、本来飼い犬は天然の産物でなく、人為の産物ともいえるものなので、困難さがつきまとうのだろう。大風呂敷的に言ってしまえば、DNA的にはチワワもピレネー犬(グレート・ピレニーズ)も同じ犬なのだから。
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by newport8865 | 2006-01-13 20:16 | 雑談
新海三社神社への参道の入り口にあたる場所、佐久市(旧 臼田町) 田口に、非常に小規模な「五稜郭」と称する城跡(別名竜岡城と称する)があります。現在、城跡は、小学校の校舎と校庭になっています。

今回調べていたところ、この城と田野口藩(竜岡藩)は、江戸時代の末(幕末)に出来たものとのことで、驚きました。

「松平(大給)乗謨(のりかた)の時に信濃田野口に移り、一代で明治維新を迎えた。」

松平(大給)乗謨(のりかた)についてはここが詳しく、竜岡岡城についてもよくまとまっています。

おぎゅう(おギフ)【大給】
姓氏。三河国賀茂郡大給に住した豪族で大給松平氏ともいう。始祖は物部尾興の裔が源頼朝から荻生庄の地頭に補任された荻生氏であるといわれる。乗元から代々大給城主となり、家乗が徳川家康に仕え、上野那波郡内で一万石、のち美濃高洲・浜松を経て館林六万石。さらに佐倉・唐津・鳥羽など転々と移封し、明和元年三河西尾領主となる。幕末には老中となって明治に至る。信濃竜岡・美濃岩村・豊後府内の大給松平氏はともに支族。

Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) ゥ Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)ゥ小学館 1988


五稜郭は、函館のものが有名で、こちらは規模も大きく、戊辰戦争で実戦に用いられたのですが、龍岡城の方はそのミニチュアモデルのようで、このような信州の僻地に建設した意味があまり分かりません。

函館五稜郭の方が龍岡城五稜郭よりも先に建設されたようですから、ミニチュアモデルとして先に作ったということもないようです。余計その理由が分かりません。

1864年(元治元年)3月 新陣屋(五稜郭)建設着工
1867年(慶応3年)4月 新陣屋竣工

五角形の1辺の部分の長さでみると、函館が約300mであるのに対し、龍岡城は約150mでほぼ半分。面積で言えば、およそ4分の1ということになり、ミニチュアサイズといっても良い位。


武田斐三郎は、五稜郭築城設計及び監督・函館奉行支配諸術調所教授役。
五稜郭は我が国はじめての洋式築城で、安政4年着工、7年の歳月を費やして、元治元(1864)年に竣工しました。のち旧幕府脱走軍がこの城に拠り、箱館戦争の本城となりました。
 http://www.hakodate-jts-kosya.jp/p_goryo_hi.html

これらを改めて調べる前には、田野口藩は、新海三社神社の祭礼のために設けられたのではないかという頓珍漢な仮説を考えておりましたが、まったくの妄想でした。
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by newport8865 | 2006-01-13 20:13 | 名所・旧跡 案内