ふるさと佐久


by newport8865
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カテゴリ:地誌( 13 )

信濃毎日新聞の記事は、現在ではヒットしないが 考古学のおやつ というサイトで、2001年の記録に載っている。

小諸市の耳取と対岸の宮沢を結ぶ宮沢橋の下流の石の多い河原(写真参照)で、盆石(水石)や珍しい模様の石を集めている地元の男性が、湯たんぽ状の模様のある石が石の間にあるのを発見。自宅に持ち帰り、くわしく観察してみるとどうもゾウの臼歯のようだと推測、長野県信濃町にあるナウマンゾウ博物館に連絡をした。学芸員と信濃毎日新聞の記者が訪れ、調査・分析をしたところ、まさに「ナウマンゾウ」の歯の化石だということが判明し、発見された歯の化石のカラー写真入りで新聞記事になった。発見された歯は、詳しい調査のためナウマンゾウ博物館に預け、そのまま寄贈されたような形になって今にいたっているという。下記新聞記事参照。

ところで、この下流の小諸市と東部町(現 東御市)の境、布引観音付近の千曲川では、アケボノゾウというやはり今では絶滅したゾウの全身骨格が発見されたりしているが、おそらく前記の歯の調査研究では、どのゾウに属するかの同定が行なわれたのだろう。

2005年夏に、長野市の茶臼山にある自然史博物館を訪れたが、館内展示に、小諸市の上流、浅科村(現 佐久市)で発見されたナウマンゾウの歯の化石が展示されていた。更に上流の八千穂村でも発見されたという話も聞いたことがある。信濃町の野尻湖では、旧石器人がナウマンゾウやオオツノシカを狩猟捕獲して生活をしていたらしいことが明らかになりつつあるようだが、この佐久の地でも、細石器を使っていた?旧石器人たちが、ナウマンゾウとともに暮らしていたのかも知れないと思うと面白い。

(狩猟採集の時代と言えば、佐久の隣、小県と諏訪の境の和田峠付近 星糞遺跡!などでは、縄文時代の黒曜石の産地として知られ、全国的に流通していたという。この話は別に書こうと思う。)
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by newport8865 | 2005-11-16 20:54 | 地誌
表題の堅苦しい名前の活動だが、その第7回議事録には長野市から千曲川を遡り、川上村の源流までのバスハイキングの模様が記録されている。

この回には特に、佐久地方の歴史風土に興味を持つものにとって非常に面白い内容が記録されている。2002年の10月に行なわれたもの。

この回もそうだが、千曲塾は、非常に興味深い話題が掲載されている。ネットでこのような情報を発信してくれているのは大変ありがたい。
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by newport8865 | 2005-11-16 20:49 | 地誌

佐久の郡

佐久の郡は、長野県(信濃国)の東部、北を浅間山の外輪山の連峰、東を関東山地の西端、西を八ヶ岳連峰、南は関東山地に八ヶ岳の東裾が覆い被さるような高台(野辺山高原)によって四方を囲まれた南高、北低の盆地地形にあり、その盆地 佐久平を東端の川上村の深山から発する千曲川が南から北に貫流している。

標高は、最も低い佐久市の辺りで600m、人里でも川上村や南牧村などでは標高1000mを越える高冷地であり、夏は涼しく冬はマイナス20度Cにも達する厳寒の地である。


佐久の地名は、直接でないにしろ、歴史の中にときおり登場する。「望月のむまや」は、現在の佐久市望月町にあった、官営の東山道の駅舎のことだろうといわれるが、これは、平安時代、ちょうど西暦1000年前後に清少納言によって書かれた著名な随筆「枕草子」に登場する。(ちなみに、同じ枕草子には、現在の別所温泉が七苦離(ななくり)の湯として紹介されている。)平安時代の佐久地方といえば、後の木曾義仲の挙兵に加わった豪族伴野氏などが伴野郷根々井氏などが活動していた頃だろうから、それなりに水田が開拓され、ある程度開けた土地だっただろうが、今猶山深い東山道(その後の中山道)などは、周囲に原生林が生い茂り、ニホンオオカミやクマなどの猛獣も山野を跋扈していたものと思われ、都までの道程は想像を絶するものだったと思われる。そのような時代に、既に都の殿上人の間に、望月や七苦離が知られていたというのは、感慨深いものがある。

東山道といえば、さらに時代を遡る奈良時代の御世に、東国からは、九州防衛のため、防人と呼ばれる徴兵された兵士が、この道を通って都から更に西の涯に旅をしていったことが、万葉集に東歌(防人の歌)として記録されている。「信濃路は今の墾道(はりみち) 刈株(かりばね)に足踏ましむな 沓(くつ)はけ わが背 (万葉集第3399首)」

さらにはるけき昔、紀元前1万年まで遡るといわれる縄文時代の、その中期に、この佐久が含まれる八ヶ岳山麓は、縄文文化の繁栄の地だったと言われる。千曲川(信濃川)源流の川上村、大深山(おおみやま)遺跡は、千曲川の河岸段丘上に位置する縄文中期の遺跡として有名で国の史跡に指定され、優れた縄文土器が発掘されている。また、さらに時代を遡ると、同じ川上村内の馬場平からは旧石器、野辺山の矢出川などからは旧石器時代の細石器などが発掘され、日本列島の人類史においても重要な土地だと言えよう。

(これから佐久地方に関係する様々なことどもをメモのように書いてみたいと思っています。)

なお、佐久地域の歴史についてはこのサイトがよくまとまっており、参考とさせていただきたいと思います。

また、表紙の浅間山と千曲川の素晴らしい風景写真は、このサイトより借用させていただいております。
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by newport8865 | 2005-11-15 19:59 | 地誌