ふるさと佐久


by newport8865
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私の運営している本家blog 「日々雑録 または 魔法の竪琴」の記事で、今回の帰省時に立ち寄った「浅間縄文ミュージアム」についてタイトルの内容を書き留めておいた。


5/3-5/6 クルマで帰省

余談:複数のblogを立ち上げると記事の投稿をどちらにするか迷うことがあるが、このようにリンクをすることでその欠点を補いたい。
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# by newport8865 | 2007-06-08 20:40 | 地誌
『風林火山』のドラマには、井上靖の原作よりも詳しく、武田信玄による信濃侵攻が詳しく描かれている。

ドラマの主人公が山本勘助で、大団円が第5次?川中島の戦いの『鞭声粛々』での激戦と勘助の討ち死にに設定されているのだろうから、それゆえその後の信玄の西上作戦の頓挫は描かれないのだろうから、それまでのエピソードを細かく描くことになるのだろう。

佐久出身者としては、地元の地名や地元の武将たちやが多く登場するのは興味深いが、佐久の特に志賀城(城主 笠原氏)、内山城などが武田に持続的に歯向かうことの見せしめのための大虐殺にあったり、捕虜が武田の黒川金山に連行されたという新田次郎『武田信玄』の記述を想起すると、画面をみながら慄然とすることがある。

武田の支配の後、織田、徳川と支配者は代わったが、それでもその時代時代の先祖たちが何とか生き延びていてくれたからこそ、今の自分があるのだと思う。ドラマを見ながら、自分の先祖たち(450年ほど前なので、20世代以上前になるため、単純計算では2の20乗という膨大な数の先祖の延べ人数になるのだが実際は重複があるだろうからもっと少ないとは思う)はその時代、どこでどうしていたのかという感慨を持つことがある。

ところで、私の父の実家の墓地の裏山には、武田の「狼煙台」だったという言い伝えが残されている。地元の人たちの慣用的な呼び名だったかも知れない。そこは、近年地元の自治体によって公園として整備され、小規模の城(砦)跡として以前とは違うまったく明るい雰囲気の場所になっているが、私が子ども時代に祖父やおじ、おば、いとこたちに会いに何度も遊びに行った頃は、伯父や従兄もその小山の頂上方面には連れて行ってくれたことはなかったように思う。先に述べたような城跡や狼煙台跡ということが伝承されているため、少々不気味な雰囲気もあった。

この城(砦)跡の城主などは、地元の旧家の家系図や古文書からおよそのことがわかっているようだが、甲斐と信濃北部(川中島)を結ぶ狼煙台として使われたというはっきりとした史料は見つかっているのだろうか?もし見つかっていないとしてもそれが、自分の父の生家にはそのように昔話(伝承)として残っているというのは、史料だけでは歴史は記述できないということの一面の証拠であるようにも思われる。

さて、ドラマに登場する佐久から長久保にかけての大井(一族)、相木(市兵衛)、望月などは今でも地名として残されているが、諏訪や大井の残党と一緒に小諸の布引城にこもったという額岩寺(がくがんじ)という武将は僧侶の出だったのだろうが、稀な姓として印象に残っている。、どのような勢力だったのだろうか? 

p.s. 佐久平からみた風林火山 というページを見つけた。
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# by newport8865 | 2007-06-07 20:09 | 神話 伝説 昔話
2006年12月21日に、沖縄を舞台にした『メタボラ』(桐野夏生)が途中で放り出すような形で突然終結し、いきなりタイトルの小説が開始された。

これは、このblog でも取り上げた中沢新一「精霊の王」の冒頭をそのまま借りたような始まりになっている。

序章からして『精霊の王』である。

平安朝? 少年貴族が蹴鞠の練習をする場面から始まる。

どのような展開をするのか?

この作者の場合、猟奇的な時代ものだろうということは予想がつくが。


p.s. 2006/12/25 この小説と『精霊の王』との関係を知りたくてyahoo blog検索したところ、助走「精霊の王」が見つかり、トラックバックさせてもらった。

読み逃していたが、この連載が始まる前に、当の中沢新一と夢枕獏の対談が掲載されていたようで、その記事を見つけた。 西行法師が主人公になるのだろうか?
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# by newport8865 | 2006-12-24 13:19 | 神話 伝説 昔話

Wikipedia の 佐久 

現在、一般にも相当認知度が高まってきたインターネット百科事典のWikipedia にも 佐久 という地域名は数多く見つかる。ただし、その記述は、書籍の「地名事典」や市町村誌に比べて記述が浅くまた不正確な部分も多いようだ。これには著作権の縛りもあり、当然そのような権威のある事典などからの直接の引用ができないことにも理由がある。それでも、誰でも自由に編集できるというwikiの思想に基づく百科事典だけあり、善意の人々の手により次第に内容が充実していっている。ただし、自分の記述内容や章立て、論理構成などはその投稿後自由に変更されることを甘受しなければならないという条件がある。

私も浅学菲才の身ながら、明らかな誤りや不十分な記述の訂正や、概略については書くことのできる新規項目を追加したりしている。

このような辞書、事典的な客観的な記述は非常に難しいものだが、それでも調べて消化して、自分なりの文書にすることは、相当勉強になる。

これまでの新規項目は、このブログでも書いた 北相木村の 栃原岩陰遺跡や 川上村の 大深山遺跡など。
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# by newport8865 | 2006-09-12 20:14 | 雑談

川上村の蝉 続き

このお盆休みに、佐久に住む両親の家に帰省した際に、両親や弟に川上村に住んでいた頃のセミの鳴き声の記憶を尋ねてみた。

弟は、私と同様、セミの鳴き声の記憶がないという。

佐久の別の土地育ちの父も、家族帯同で川上村で6年間暮らしたのだが、やはり記憶に残っていないそうだ。

ただ、川上村で生まれ育った母は、記憶はあいまいだが、実家の裏のお寺の森などで、ミンミンゼミやヒグラシを聞いたことがあるし、野辺山高原に属する埋沢(通称うずみ)に畑仕事に向かう途中など、林間からセミの鳴き声を聞いた記憶があるという。

私たちが川上村で暮らした昭和40年代は、農薬の空中散布が盛んに行われた時代で、空中散布の日には、「住民はできるだけ外に出ず、洗濯物も家に取り込むように」と地区内の放送が流されたくらいだったので、何年にも渡るそのような農薬散布の影響で、川上村の集落部のセミの声が聞こえなくなったのではないかというのが、我が家での結論だった。
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# by newport8865 | 2006-08-21 20:43 | 自然

川上村の蝉

佐久地方は、比較的標高の低い佐久市、小諸市近辺でも海抜600mを越えており、そのほとんどがいわゆる高冷地に属する。そのため、どうやら昆虫類も標高に応じた垂直的な分布をしているようだ。

子ども時代、8月1日のお墓参りや旧暦のお盆に、佐久町の父の実家を訪れると、その1000mを下回る海抜の山里では、夏になればミンミンゼミの声が騒がしく聞こえたものだった。従兄に連れられて早朝のリンゴ畑にセミの脱皮を観察に行ったこともあった。完全に脱皮を終えると硬く透明になるミンミンゼミだが、脱皮したばかりのそれは、もしそのようなものがいるとすれば妖精とはこのような色彩なのだろうと思われるうす緑がかった白い外観で、非常に水っぽい姿をしていた。

ところが、小学校の6年間を過ごした千曲川の最上流の川上村では、夏になるとカブトムシはそれこそ山ほど採集でき、秋ともなれば無数のトンボが飛び交っていたほど昆虫の成育には適した場所だったようだが、セミの鳴き声を聴いた記憶がまったくない。毎日のように野山で遊びまわり、毎日鎮守の深い森を通って小学校に通っていたのに、セミの鳴き声はまったく耳に残っていない。

子どもの頃の記憶というか、記憶全般というものの不思議さだろうが、興味のないことはほとんど明瞭な記憶に残らないもののようなのだが、このセミの鳴き声を覚えていないということが興味関心がなかったための記憶の欠如なのか、本当にセミがいなかったのか、どうにも分からない。

このようなことを考えたのは、数年前川上村の川端下(かわはけ)の金峰山川上流にキャンプに行ったとき、早朝樹上からセミらしい鳴き声を聴いたことに由来する。

このとき川上のセミについて書かれた川上村に別荘を構えている方のページ「信州 川上郷 自然うぉっちんぐ」でセミの写真と記事を発見し、次のようなメールを思い切って出してみた。

ところがそのメールはなぜか届かなかったそうで、そのメールへの直接の返事ではなく、blogに掲載しておいたそのときのメールを掲載した私の別ブログの記事を検索で発見されて、キャンプのときからから数年経過した最近になって思いがけずそのウェブマスターの方から返事をいただいた。


----------これが私の2003年8月のメール--------
はじめまして。
長野県南佐久郡川上村の歴史をネット検索していて貴サイトにたどり着いたもので
す。
小生、約30年ほど前まで、川上村の御所平で暮らしておりました。その当時、まだ幼
年だったこともあり、川上村でセミの鳴き声を聞いた記憶がなかったのですが、今年
の8月の初め、遅い梅雨明けの日、久しぶりに金峰山川のほとりのキャンプ場(ふれ
あいの森)に2泊ほどしたところ、日の出からしばらくして、樹上からセミらしいも
のの鳴き声を聞きました。温暖化の影響がここまで及んでいるのだろうかと不審に
思ったのですが、貴サイトでエゾハルゼミの存在を知りました。
大変ぶしつけなお願いで恐縮ですが、このエゾハルゼミについて教えていただけない
でしょうか? ウェブマスター様が写真を撮られたり、大合唱を聞かれたのは、風景
写真からすると、秋山、川端下のあたりでしょうか?川上村に通われて10数年間との
ことですが、毎年鳴き声は聞こえましたか?

こどもの学習に生かしたいと存じますので、どうぞよろしくお願い申し上げます
---------以上が私のメール--------


--------以下が2006年7月にいただいた返事-------
  はい、毎年エゾハルゼミの鳴き声を聞いています。初めて聞いたときは何の鳴き
声なのか全く分かりませんでした。鳥でもないし、何の虫なのか?カラマツやアカマ
ツを中心とした松林の中で必ず晴れ間をみて一斉に鳴き出します。雨が降ってくると
ぴたっと決まって鳴き止みます。6月の初・中旬あたりがそのピークかと思われま
す。晴れ間が見えない梅雨時の日中はごくたまに曇っていても鳴き出すことがありま
す。これまで聞いたことのないメロディー(聞きなし)で「ミョーケン ミョーケン
 ケケケケ・・・」とけたたましいほどの声量で鳴き続けます。よく聞いていると鳴
き声がハモッテいるのが分かります。鳴いているのはオスです。そのうちに、鳴きな
がらメスの方に近づいて行きます。オスはメスより一回りほど小さいです。メスの腹
部は黄色がかっています。エゾハルゼミの大合唱(ハミング)はまさに繁殖行動その
ものかと考えられます。朝、草むらや樹木の幹で抜け殻を見かけますが、その年に
よって個体数の多少があるようです。でも、鳴き声によって例年との個体数の多少ま
では分かりません。村内のいたる所で聞こえてきます。慣れると車で走っていても鳴
き声が聞こえてくるのに気づきます。

  不思議に鳴き声が聞こえてこなくなってやがて真夏になると、コエゾゼミが主役
になります。セミたちは時期によって住み分けているのでしょう。川上村ではこの2
種しか出合っていません。他の種類もいるでしょうが。・・・・・・
----------以上返信終り-----------

これについては、早速お礼の返事を送らせてもらった。

趣旨はほぼ上記の記事に同じだが、「今から思えば高原野菜や水稲の農薬散布が原因だったのかも知れないと思い当たりました。金峰山川流域の相当奥地まで高原野菜畑が開墾されてはいますが、さすがにキャンプ場の周辺まではその影響がなかったという風にも考えられるかも知れないなどと素人ながら考えてみました。」と思いつきも書かせてもらった。

本当に農薬の影響はどうだったのだろうか? 農薬の影響がなくてもセミの声が聞こえなかったとすると原因はどうだったのか。これについては川上村育ちの母に確認してみたい。
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# by newport8865 | 2006-07-18 20:23 | 自然
今年の正月に上野動物園で短期公開されて話題になった 長野県南佐久郡川上村 に伝わる 日本犬の 川上犬が 須坂市動物園に贈られ公開されることになった。 犬の仲間では、オオカミやキツネ、タヌキ、コヨーテ、ドールなどの野生動物の公開展示は普通だが、いわゆる「家畜、ペット」である犬の展示自体は結構珍しいのではないだろうか?


6月14日 川上犬来園します!(17日よりお披露目予定です。コチラも名前応募お待ちしています!!)

川上村も須坂市も自分にとってはゆかりのある土地ということもあり、不思議な気分だ。

動物園スタッフによるblog
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# by newport8865 | 2006-06-15 20:08 | 雑談

東京電力 南相木ダム 

帰省した折に、両親から最近完成した、日本一高い場所にある揚水式の発電用ロックフィルダムで、見物にちょうどいいから行ってみたらと言われて、家族ともども見学に行ってきた。

南相木村の最奥部の集落からさらに道をすすみ、これも最近できたという滝見温泉からさらに舗装道路の立派な林道を進むと、展望台とダム下の公園の別れ道がある。今回は展望台に向かった。南相木村と群馬県上野村との境で、20年前に日航機が墜落した御巣鷹山が望めるほどの場所だ。

道を上り詰めると石灰石や大理石が採石でき、鍾乳洞もあるという関東山地の白色の石灰石を利用した巨大なロックフィルダムが姿をあらわしてくる。ダムの突堤からは南相木村の谷を隔てて、八ヶ岳も西日の中に浮かんでいる。里から見上げるよりも高く見えるのが不思議だ。

このダムについては、wikipediaにも記事が載っており、揚水式発電所としては最大規模のものらしい。また、ダム湖の水は、水利権などの関係で、群馬県側の水を揚水して用いているというのも珍しい。

まだまだ完成したばかりで、ほとんど観光地化しておらず、連休の最中なのに訪れる人はまばらだった。
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# by newport8865 | 2006-05-11 20:55 | 名所・旧跡 案内
以前の記事で書いたが、父が旧・佐久町方面の畑での表面採集で発見した人面土器の一部らしきものを今回の帰省で見せてもらったが、小学生が作成したような稚拙な顔に頭部は古墳時代の埴輪のような兜(帽子)をかぶっているように膨らんでいるものだった。

首から上の部分のみで高さが3センチほど、頭部の直径は2cmほどの小さい粘土製の頭部だ。

土器の破片や石器などが表面採集できる畑で採集したものとのことなのだが、後世のものではないかという疑いも捨てきれない。

このような表面採集の出土物などは、時代確定などの方法はあるものだろうか?
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# by newport8865 | 2006-05-11 20:42 | 地誌

南佐久郡誌 中世編

久々の投稿。

5月の大型連休に帰省したおり、書棚を覗いたところ父が購入した「南佐久郡誌」(確か 中世編だったと思う)があり、ページを繰ってみると、目次には、このブログであれこれ書き連ねたような内容がよくまとめられて記載されているようだった。

「佐久」という地名の語源についても、ミシャクジ信仰との関係に言及されていたし、今井野菊女史の研究についても書かれていた。

非常に大部な書であり、さまざまな研究者の論考の寄せ集めのようだが、自分のような関心をもっているものにとっては相当有用であり、またここまでは研究が進んでいるのだということに気づき多少衝撃を受けた。
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# by newport8865 | 2006-05-11 20:33 | 地誌